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12/18(木)「明るく死を自覚して生きること」

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【今日の気づきの法話】

原始仏典を読む中で、私が強く感じたことを書きます。

原典の解説ではなく、日々の生活の中で感じた私的な

「気づきのメモ」です。

 

釈尊が教えた、人生が軽くなる生き方

 

釈尊は、悟りのために

特別な修行や、誰かの人生を真似しなさいとは

言っていません。

 

まず、こう言いました。

「本物の言葉に出会いなさい」と。

 

それは、

聖者が一生をかけて勝ち取った

“真理の言葉”に触れる努力をすることです。

 

不思議なことに、

本物の言葉は読んだ瞬間、

理屈より先に「腑に落ちる」感覚があります。

そして、その言葉から自身が逃げられなくなります。

 

釈尊は、

「明るく死を自覚して生きること」

この真理の言葉を数多く使われています。

 

分かる気がする、

なぜか心に残る。

う~~ん、なるほどと腑に落ちる。

 

それもまた、

今の自分の人生に必要な仏縁なのです。

 

ただし、

真理のように見せかけた偽物も多い。

どれを選ぶかは、他人ではなく自分自身の縁でも、

あります・・・。

 

そして釈尊は、ここでこう続けます。

「その上で、自分の人生を生きなさい」

聖者の生き方を真似する必要はありません。

あなたには、あなたの人生があります。

 

家事も、仕事も、介護も、養生も、

今この瞬間の役目を、丁寧に生きること。

それこそが修行だと、釈尊は断言しています。

 

真理の言葉に触れ、

自分の人生を真剣に生き始めた人は、

やがて「努力する喜び」を知ります。

 

そして気づくのです。

悟りとは、遠い理想ではなく、

今日をちゃんと生きている感覚そのものだと。

 

この積み重ねで、

誰もが今生のうちに心が軽くなり、

人生を本当の意味で楽しめるようになる。

 

それが、

釈尊の教えの核心です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

上善如水エッセイ

〖小さな小さな手の温もり〗

 

先日、 長女の輝香から 「得度が終わったよ」と

京都から連絡があった。

 

今日との西本願寺西山別院での十日間の得度考査。

教義を学び、 声明を学び、 仏弟子としての 一歩を

踏み出す時間である。

 

私自身も四十五年前、

 同じ場所で得度を受けた。

今も真っ先に 思い出すのは、一日十時間以上の

正座のつらさと足の痛みだ。

 

当時は毎日サロンパススプレーを

足に何度も何度も振りかけては冷やし、

「早く終わってほしい」その思いばかりだった。

 

しかし今、 振り返ってみれば、

あの十日間は 人生の困難に向き合うための

小さな予行演習だったように思える。

 

輝香は、 中央仏教学院の通信で学び、

 結婚し、 出産を経て、

 時間をかけてこの日を迎えた。

 

その歩みから 伝わってくるのは、

 仏法は 「やらされるもの」ではなく、

「自ら引き受けていくもの」だという事実である。

 

ふと、 未熟児で生まれ、 保育器の中にいた輝香の、

小さな紅葉のような手を 握って涙した日のことを思い出した。

 

あの手が今、 仏弟子として帰敬式を受けている。

その事実に、 深い仏縁を感じずにはいられない。

 

仏教保育(まことの保育)が大切にしているのは、

この世を上手に生きることではない。

いつも「仏さまと 一緒に生きている」という深い安心感である。

 

阿弥陀さまの

母親のような大きなお慈悲の中で

お育てにあっているということを知ることで、

 人は自然と、 自分の命を肯定できるようになる。

 

あの 小さな手の温もりは、 今 胸の奥に残っている。

命は、 一人で 大きくなるのではない。

見えないはたらきと、 多くのご縁に支えられて、

育っていく。

 

そのことに、 改めて深く気づかされたひと時だった。

左下の女性が輝香

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