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12/30(火)「学び続ける人の共通点」

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学びを続ける人の共通点

 

学びを続ける人は、

特別に頭が良いわけでも、

努力家を演じているわけでもありません。

共通しているのは、心の姿勢です。

 

一つ目。

「自分はまだまだ途中だ」と知っている。

完成した人はいません。学び続ける人は、

それを恥とも不安とも思っていない。

だから人の意見を、防御せずに受け取れます。

 

二つ目。

うまくいかなかった時、理由を外に出さない。

環境、時代、他人。もちろん影響はあります。

でも学び続ける人は、最後に必ずこう戻ります。

「自分にできることは、何だったんだろう」

この問いが、人生を前に進めます。

 

三つ目。

人の話を“材料”として聞いている。

正しいか、間違っているか。ではなく、

「この話から、何を学べるのか」

相手が誰であっても、この姿勢は変わりません。

 

四つ目。

小さな変化を、面倒くさがらない。

挨拶の仕方、言葉の選び方、一日の段取り。

学び続ける人は、大改革を狙いません。

昨日より、1ミリ整える。

それを、静かにコツコツ続けます。

 

五つ目。

自分を過剰に守らない。

失敗しても、恥をかいても、

必要以上に自分を正当化しない。

だから回復が早い。

学び続ける人は、立ち直りが上手なのです。

 

そして最後。

感謝が、条件付きでない。

うまくいったから感謝。助けてもらったから感謝。

ではなく、「今日も学べた」

それだけで、心が静かに満たされる。

 

釈尊が見ていたのは、この姿です。

学び続ける人は、若く見えます。

声が柔らかく、場の空気を荒らさない。

そして不思議と、人と仕事が集まってきます。

 

それは、その人自身が

整った学びの場になっているからです。

 

※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。

今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。

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上善如水

懐かしい京都「だる満」の日々 ―

 

 

京都の興英くんから、

手紙とお菓子が届いた。

封を開けると、岡崎のおばんざいとお蕎麦の店「だる満」が、

二年越しでようやく売れたという知らせが添えられていた。

 

胸の奥で、静かに何かがほどけた。

 

思い返せば、あの場所で過ごした時間は、

「働いていた」という感覚よりも、ただ同じ場を、

同じ呼吸で生きていたという記憶として残っている。

おきちゃん、法子さん、伸ちゃん、みさちゃん、まりちゃん。

廣瀬のお母さん、西村さん、丸山さん、こにやん、林さん、

北村さん、けいこちゃん。ご両親、そして私。

 

笑い声が絶えず、湯気が立ちのぼり、

繁忙期には特大海老天丼やおばんざいバイキングが

飛ぶように売れた。

二十分待ちは当たり前、

長いときには一時間。観光客の列が数珠なりになり、

それでも誰ひとり不機嫌にならなかった。

忙しさの中に、確かな喜びがあった。

 

一方で、

閑散期の「だる満」には、京の秋が静かに流れていた。

その空気の中で流れていた東儀秀樹の音楽は、

どこか物悲しく、けれど今思えば、あれは別れの音ではない。

役目を終えたあとの、深い静けさの音だったのだと思う。

 

全国から人が集まった「だる満」という場を手放し、

新しい田舎の地へ。

ご両親を近くに迎え、好きな音楽を続けながら、

次の暮らしへと移っていく。

 

水が低きに流れるように、抗わず、無理をせず。

だからこちらも、自然とほっとする。

 

上善は水のごとし。

水は、役目を終えれば、

ただ次の器へと静かに移るだけだ。

 

振り返れば、

あの「だる満」での体験がなければ、今の私はいない。

人生の芯に刻まれるほど濃く、深く、三つも四つも重なる

学びと出会いを、あの場所でもらった。

 

 

 

 

ありがとう、だる満。

あの時間は、今も私の中で、静かに流れ続けている

 

 

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