
何度も申します。
釈尊は、
学びとは“何かを増やすこと”ではない
と、はっきり示されました。
本当の学びとは何か。
それは、
自分の心がどう動いているかを、
誤魔化さずに観ることです。
・不安になる心
・正しさを振りかざしたくなる心
・人と比べて焦る心
・楽をしたがる心
これらを
「ダメだ」と責めるのではなく、
「そう動いているな」と静かに観る・・・。
釈尊が教えた学びは、
自分を立派に見せるための学問ではなく、
心を静かに正直に素直にするための智慧でした。
お正月とは、
何かを新しく足す日ではありません。
一年分ついた
・思い込み
・力み
・欲張りな期待
それらを一度、そっと置き、心を元の位置に戻す日です。
釈尊は言います。
正しい人生は、
極端を去り
バランスの取れた正しい心の位置からしか始まらない。
今年、私たちが学ぶべきことは一つ。
「外を変えようとする前に、自分の心をここに戻す」
これが出来る人は、
自然と、
・人に優しくなり
・仕事が丁寧になり
・運も整い始めます。
なぜなら、
心が調ったところにだけ、
智慧は流れ込むからです。
どうぞ今年は、
焦らず、競わず、誇らず。
毎日一度、
「今、自分の心はどこにあるのか」
それだけを確かめてください。
それが、
釈尊が示した
最も静かで、最も力強い
本当の学びの姿です。
※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。
今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。
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2026年 今日はNC新年御礼会
「釈尊 → 老子 → 親鸞で整える年」
「ナチュラルクリーンの〈人・物・金〉の調律」
皆さん、新年あけましておめでとうございます。
今日こうして無事に新しい年を迎えられたこと、
まずは心から感謝します。
今日は少しだけ、
ナチュラルクリーンが大切にしている“調律”の話をします。
今年の一年は仏教の開祖で釈尊の智慧による土台作りから始まり、
老子の自然に流れによる個々の役割の専念。
そして最後は未熟な凡夫が親鸞聖人の他力による努力の継続
によって一年を全うするという流れをイメージしています。
① まず「釈尊の調律」基本を治す
最初は 釈尊 です。釈尊の調律は、とてもシンプルです。
一言で言えば、原因があって、結果があるということ。
★人の調律(釈尊)
*感情が荒れる
*人間関係がうまくいかない
*仕事が雑になる
これは「性格が悪い」からではありません。
生活と習慣がズレているだけです。
・睡眠・挨拶・言葉遣い・手の使い方・呼吸・整理整頓と掃除
ここが乱れると、必ず結果が乱れます。
だからナチュラルクリーンでは
まず生活習慣と仕事の基本を徹底して整える。
★ 物の調律(釈尊)
衣類も同じです。
*無理な加工をすれば、必ず傷む工程を飛ばせば、必ず歪む
*衣類や物は嘘をつかない。
だから「急がない」「省かない」「誤魔化さない」
これが釈尊の調律です。
★お金の調律(釈尊)
お金も因果です。
*無駄遣いをすれば減る
*気が緩めば漏れる
お金は「徳の結果」まずは
使い方・管理・習慣を徹底して正す。
これが最初の土台です。
by法子
・・・
次に「老子の調律」力を抜く
基本が整ったら、次は 老子 です。
老子の教えは、やり過ぎない、抱え過ぎない、力まない
★人の調律(老子)
*全部自分でやろうとしない
*正しさで人を押さえつけない
水のように、
自然に流れる役割分担を大事にする。
★物の調律(老子)
*新しいものを買わない
*あるものを生かす
「足るを知る」ことで、現場は静かになります。
★ お金の調律(老子)
*儲けを急がない
*大きく見せない
余白がある会社は、折れない。
最後に「親鸞の調律」──人間を許す
・・・
最後が 親鸞聖人です。
親鸞聖人の調律は、とても人間的です。
人は弱い・失敗する・迷う
それを前提にする。
★人の調律(親鸞)
*完璧を求めない
*失敗を人格否定しない
*立ち上がり努力する力を信じる。
★ 物の調律(親鸞)
*傷んだ衣類
*思い出の品
「まだ役目があるかもしれない」そう思って向き合う。
★ お金の調律(親鸞)
*増えたら慢心
*減ったら不安
どちらにも振り回されない。感謝で扱う。
ナチュラルクリーンの調律は、この順番です。
そして、失敗の多い私たち
凡夫であることの許可書
凡夫であることを、ここに許可します
私たちは、
賢くもない
要領も良くない
先回りも苦手で
気が利かず
失敗も多く
続けることも下手です。
それでも、
悪気はなく
一生懸命で
頼まれたことはやろうとする。
それが、私たちです。
それを仏教では
「凡夫(ぼんぶ)」と呼びます。
凡夫とは、
ダメな人間という意味ではありません。
不完全で、迷いながら生きる人間
という意味です。
凡夫には、凡夫の育ち方があります
凡夫は、
いきなり気の利く人にはなれません。
凡夫は、
考えながら動くことが苦手です。
凡夫は、
怒られると固まり、
頭が止まり、
あとでやっと分かります。
それでいい。
大切なのは、
「分からなかった自分」を
ごまかさないこと。
努力が続かないあなたへ
努力が続かないのは、
根性がないからではありません。
自分の力で頑張ろうとするから
続かないのです。
凡夫の修行は、
続けることではありません。
✔ やめる
✔ 失敗する
✔ 忘れる
✔ それでも
✔ また戻ってくる
これを、何度も繰り返すこと。
それが、凡夫の歩みです。
気づいたら、ひとつだけ動く
大きく変わらなくていい。
賢くならなくていい。
気の利く人を真似しなくていい。
ただ一つ。
気づいたら、ひとつ動く。
それだけは、私たちの仕事です。
昨日より少し丁寧に。
昨日より少し聞く。
昨日より少し考える。
それで十分です。
最後に
阿弥陀さまは、
賢い人の味方ではありません。
強い人の味方でもありません。
凡夫を見捨てない仏です。
だから、
失敗しても
怒られても
固まっても
ここに戻ってきていい。
凡夫のままで、
また一日、やり直せばいい。
それを、
ここでは許します。
以上を全員の共通意識・言語にします。
この部分が私はとても大切だと感じています。
・・・
*釈尊→基本を整える
生活・仕事・因果を正す
*老子→力を抜く
余白をつくる
*親鸞→人を許す
続けられる会社にする
最後に
ナチュラルクリーンは
「人が立派に見える会社」ではなく
人が壊れず調律できる上善如水まような会社でありたい。
今年も
*人を整え
*物を大切にし
*お金に振り回されず
静かに、強く、明るく進みましょう。
本年も、どうぞよろしくお願いします。