
X用「私の蛾に気づくこと」
人は、
何もしていなくても疲れます。
黙っていても、寝ていても、
心の中では不安や怒りが自動再生されるから。
その正体をたどると、
すべての奥にあるのは
「私が」という思い。
「私がしてあげたのに」
「私だけが苦労してる」
「私が正しいのに」
この「私が」の主語がある限り、
悩みは終わらない。
大いなる意志は無駄なものを創らないと言います。
昆虫の蛾が不気味に見えるように、
「私が」という思いもまた、必要があって生まれたものですが、
執着すれば苦しみの原因となります。
まるで心の中の“蛾”のようなものです。
体調不良・不運・不満が増えたら、
外じゃなく自分の中の「私が」を見てみる。
「私のが」=「私の我」=自我
=これが悩みと不運の源泉。
戦わなくていい。消さなくていい。
ただ、
この我(蛾)に気づくだけで流れは変わる。
自分の中の“私の蛾”に
気づけた人から、
人生は静かに軽くなっていきます。
合掌
※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。
今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。
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ブログ用「私の蛾に気づくこと」
人は、何もしていなくても疲れます。
黙っていても、横になっていても、心の中では怒りや不安、
心配や後悔が次々と湧き上がり、心をすり減らしています。
では、その想念の根はどこにあるのでしょうか。
よく観てみると、すべての思いの奥に必ず「私が」という主語があります。
「私がしてあげたのに」
「私だけが苦労している」
「私が正しいのに」
この「私が」という思いがある限り、悩みは尽きません。
大いなる意志は無駄なものを創らないと言います。
昆虫の蛾が不気味に見えるように、
「私が」という思いもまた、必要があって生まれたものですが、
執着すれば苦しみの原因となります。
まるで心の中の“蛾”のようなものです。
体調が悪い、不運が続く、物事が思い通りにならない、
不満ばかり出ると感じたときは、
外を責める前に、自分の中の「私が」が強くなっていないか、
静かに観てみなさい。
「私のが」=「私の我」=自我。
それは本来の真我、内在する仏性の目覚めを妨げる者であり、
悩みや不運の源泉です。
しかし、それに気づけたとき、
流れは変わります。
「今、私が出ているな」と気づくだけでよいのです。
責めなくていい、否定しなくていい。
ただ観ること。
自分の中の“私の蛾”に気づくこと。
それが、悪い流れを軌道修正し、
心を軽くし、
本来の静かな自分に戻る道なのです。
合掌
※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。
今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。
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