「復讐するのは我にありの真実」
今の時代だけではなく、
古来から言われ続けていることがあります。
人は、黙っていても非難されます。
多くを説明しても非難されます。
少ししか話さないでいても非難されます。
つまり、世の中には非難されない人は誰も居ない
ということなのです。
(原始仏典 ダンマパダ17章-227番)
他人から怒られた時に一番にいけないことは、
* なぜ自分だけが? あの人はなぜ怒られないのか?
つまり視点が自分自身に向かわずに、常に「他人へ」と
自分の不満のほこ先が向かうのが大半の人々です。
そして、肝心な自分自身を見詰めることから余計に離れ
ていきます。自分を見詰めない限りは、また同じ失敗や
癖が治らずに、また更に他人から非難されます。
この悪循環を断ち切るには、
* どんな人でも必ず非難されていることを知ること。
* 自分が非難されれば、他人よりも更に自分自身のこ
とを冷静に静観すること。それによって悪い部分を
昇華させ、器が大きくなっていくということ。
このようなことが大切です。
問題は、他人を安易に非難する人間はどうなのか?
その人は、そのように他人を非難できる資格が本当にある
のか?
実は、真実は恐ろしいことを非難する側の人間は犯してい
ます。自分が非難した相手を、自分自身の良心が正しいと
認めれば、その非難者は自分の良心から怒られています。
他人を非難した側の運気が低下したり、健康を失くしたり、
ひどい場合は非難した本人の寿命も本人自身の良心が戒め
の為に削る場合もあります。
非難された相手自身の良心と連動して、良心に基づく公平
な判断が自分の内面から下されて行きます。
多くの人間は、このことに気付けません。
「復讐するのは我にあり」
一番に恐れるべきは、自分自身の良心だったのです。
だから、安易に他人の悪口や陰口や非難をすることはやめた
方がよいまです。これを自戒してやめただけでも、自分の運気
や運命は相当変わります。世の中には、いろんな人たちが存在
するということです。参考までに。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「先生を尊敬する②」
もし私に取り柄があるとすれば、
それは先生を非常に尊敬していたということである。
特に大学のときは、
私は先生とはみな偉いものだと
心から信じ込んでいた。
大学というのは自分が入るのも大変だったのに、
先生たちはとっくの昔に大学を卒業して
大学生に教えているわけだから、
畏れ入るしかなかったのである。
だから、その言葉の一言一句がありがたく、
決して聞き逃すまいと思って授業に臨んだものである。
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今日の諺 「離合集散(りごうしゅうさん)」
【意味】
はなればなれになったり、集まったりすること。
また、協力したり対立したりすること。
「離合」ははなれることと集まること、
「集散」は集まることとはなれること。
同じ意味の言葉を重ねている。
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