「死と別れを意識すれば 大切なことに気づける」
自分の子供やペットに心を奪われて執着している人
にも、いずれ死は必ず来て生命を持って行きます。
まるで、気持ちよく寝ている夜の村を鉄砲水が襲う
ようにです。
(原始仏典 ダンマパダ20章-287番)
これは釈尊が不吉なことを言って、怖がらせているの
ではありません。多くの命との、正しい接し方について
の示唆です。
生き物に愛着を持っても良いですが、それが執着(他の
ことが目に入らないこと)に成りますと、その人はどん
な生命も必ず死ぬということを忘れてしまいます。
その死を考えることも拒否し、永遠に自分のモノだと錯覚
をしています。
そうなりますと、自分の愛するモノ以外への周囲への迷惑
や、自分の子供やペットのためならば常識を外れた行動も
しているかも知れません。
愛するがゆえの行動が、逆に自分が大切にしているモノの
生命を削る因果を増やしている人が多いのです。
大切なことは、どんな命にも限りがあることを常に忘れな
いで、子供やペットを大事にすることです。
そのような冷静な視点を持っていますと、自分が先に死ん
でも困らないようにと、子供やペットの躾(しつけ)や教育
も忘れずに行うことが出来ます。
愛するがゆえの盲目的な愛着だけでは、生命を真の意味で幸
福にしてあげることは出来ません。
釈尊は、上記のように常に死を意識することで、よりもっと
今の中に幸福を感じられて、感謝することが出来るように成
ることを示唆しての今日の言葉でした。
より良く幸福を体感出来るためにも、正しく・明るく・死に
よる別離を認識して生きていきましょう。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」
「日々是好日」とは、
必ずしも高い位に上がることでもなければ、
たくさんのお金を持つことでもない。
毎日毎日、明るく朗らかな気持ちで過ごして、
「今日も好い日だったなあ」といえるような生活を
送ることである。
これは紛れもなく本物の出世の一つの形である。
平凡な話に聞こえるが、
「日々是好日」と自信を持っていえることは、
実は素晴らしい境地にあるということである。
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今日の諺 「前人未到(ぜんじんみとう)」
【意味】
今までにだれもやったことがないということ。
だれも足を踏み入れた入り
そこに到達したりしていないこと。
「未到」はその場所にだれも到達していないということ。
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断酒日記
昨日は同居人二人のために
土曜の「うな重」を何気なく・・
「まあ、こんな日が有ってもいいだろう」と、
買って帰りました。
で、レジでの数字が
自分のお蕎麦を入れて
なんと5.800円。
「ええ???」
なんと、
「うな重」一つ2.400円×2=4.800円。
今日の朝、
2人ともメチャ喜んでました。
その話を聞いた社長のやまっちが
「僕も食べたい・・」とダダをこねていました。
今日はスーパー「いなげやけにでも行って
僕のも含めて「うな重」買ってきてやろう。
「うな重」食べた2人の顔が
あまりにも美味しそうだったので。
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