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8/17(日)「自身に内在する仏を信じる」

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「自身に内在する仏を信じる」

私は、すべての欲望(ワレヨシな自我)に打ち勝った。

私は、すべてのことが分かった。

私は、すべての意味で清浄である。

自分のあらゆることを手放した。

色欲も枯れました。そして、心は悟っている。

自分で悟ったのです。つまり、師と呼ぶ他人はいないのです。

(原始仏典 ダンマパダ24章-353番)

 

この項で釈尊が言いたいことは、「つまり、師と呼ぶ他人は

いないのです」なのです。2500年前の修行者にも、

現代社会の宗教の有料先生にもよく居るのですが、

「悟るためには、師匠が絶対に必要だ」と主張する先生が

非常に多いのです。

 

これは何のためでしょうか?

* 先生の立場と権威を守るため。

* 悟るため、と称して弟子から金銭を得るため。

が霊的な真相なのです。2500年も前のインドでも、そう

言いながら金銭を搾取する自称師匠が多かったのです。

 

釈尊はこれを真っ向から否定し、上記の言葉を仰ったのです。

「私は悟ったが、自分自身で悟ったのです。師匠と呼ぶ他人

などいません」階級制度や宗教戒律に厳しく縛られた社会では、

真相は分かっていても言えなかったのです。

多くの弟子を持つ有料先生が怒り、自分の権威を守るために、

この悟りの真相を言う人間を攻撃したからです。

 

誰もが見詰めるべきなのは師匠では無くて、自分自身なのです。

悟るのは自分だ、ということを忘れては生けません。

今日も、自分自身の生活の中で、自分を見詰めましょう。

 

そこに大切な生活のヒントも、成長も、悟りも在るのです。

誰もが、既にすべてが揃っています。

後は、自分で気付く(悟る)だけなのです。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

 

【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載

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日本人の道徳心

「仕事と遊び」

本当の仕事というのは

真面目に夢中になってやれば、

比較的飽きないものであって、

そこからの疲労は意外に早く回復する性質のものであり、

永続的な喜びが生ずるものだ。

それに反して、遊びというものは、

意外に早く飽きが来て、

意外に早く疲労がおきて、

またやりたいという気持ちになるまで

相当時間がかかる。

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今日の諺 「内柔外剛(ないじゅうがいごう)」

【意味】

内面は弱いのに、見た目は強そうに見えること。

または、本当は気が弱いのに

強そうな態度をとること。

「内柔」は内面が柔らかい(弱い)、

「外剛」は外面がかたい(強い)という意味。

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