「真理と道徳を大切にすることが最大事」
右巻きの巻き貝のような髪型に結ぶから、
その人が真の修行者なのではありません。
人の苗字が修行者の家系を意味するからと言って、
その人が修行者ではありません。
生まれる家の階級によって、
その人が修行者なのではありません。
真理と道徳を大切にする人は、安らかな心境の人です。
そういう人こそが、本当の修行者なのです。
(原始仏典 ダンマパダ26章-393)
古代のインドでは如来を目指す意味で、
直毛の修行者は髪全体を
右巻きの貝殻のように大きく束ねていたのです。
釈尊は、「髪型を真似ても、修行者とは言えない」と
仰っているわけです。
この項の釈尊の言葉を逆に読みますと、
* 人の外見を信じては生けない。
* 自分の生まれた環境など関係ないのだ。
* すべては、「今の」自分の行動で人は決まるのだ!
と示唆されています。
よく、「自分は~~が無いからダメなんだ」
と最初から諦めている人が多いです。
学歴、外見、配偶者の有無、子供の有無、財産、収入、仕事・・・・・、
最初から「条件」の線引を現実問題として人はするものです。
でも、高学歴で社会的地位のある裕福な人でも、
変なことをして逮捕される人は後を絶ちません。
人は、過去の実績にダマサれて、
今のその人を見ないものです。
人は、他人の過去と、未来ばかり気にして、
「今のその人」を正しく見ようとはしないサガが有るのです。
(中略)
やはり、「今の」相手の行動を冷静に見て
判断することが大切なのです。
「真理と道徳を大切に“する人”は、
安らかな心境の人です。」
今、真理と道徳を大切にしている・ing、
ことが最大事なのです。
今を真面目に生きる人の全員が、真の修行者です。
日本には、真の修行者が多いと思います。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人の道徳心
「停滞主義者」
商業というのは、競争が本質です。
競争というのは自由と同義語です。
商業の中にある本質的な自由。
多少行儀が悪くとも個人個人が
生き生きしている社会より、
とにかく騒ぎがなくて、
一件整然としている社会のほうが
いいんだと考える、
いってみれば停滞主義者には
商業は目障りなんです。
この停滞主義者というのは、
右翼左翼を問いません。
案外革新とか改革とかを
しきりにいうのが停滞主義者だというのは、
歴史を見ればよくわかります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の諺 「九死一生(きゅうしいっしょう)」
【意味】
とてもあぶないところで、奇跡的に助かること。
「九死」とは十のうち九の割合で
死ぬ可能性があるという意味で、
「一生」とは十のうち一の割合で
生きる可能性があるという意味。
「九死に一生を得る」ともいう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・