「すべては必ず過ぎて行くことばかり」
コノ世の幸福とか不幸だとかに、
こだわらずに生活する人。
色々な問題が有っても、心配せずに生活する人。
清潔で心身を清らかに生活する人。
そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。
(原始仏典 ダンマパダ26章-412)
海外のニュースを見ながらとてもこの世のモノとは
思えない悲惨な人間の姿が日々映し出されます。
同じ人類でありながら、日本での最低の生活は、
それでも他国の最高の生活かも知れません。日本
では毎日、まだまだ食べられる食料品何十トンも
廃棄しています。他国の人々がそれを見ればなんと
思うのでしょうか?
つまり、人間の幸福と不幸の感覚とは、
* 有って無いようなモノ、
* 場所で変わるモノに過ぎないこと、
* 個人的な幻想であること、
とも言えます。
釈尊が言われますように、この世の幸福とか不幸だ
とかに、こだわらずに、負けずに生きたいものです。
もし自分が不幸だと思う時があれば、その不幸を大きな
宇宙から大きな視点で見てみるのもいいかもしれない。
どこに自分の不幸がせあったのか。見失うかもしれません。
次に、「色々な問題が有っても、心配せずに生活する人」。
これがでそうでできないことです。ただ言えますのは、
それを心配して、一体何が変わるのでしょうか?心配して
注意することによって、量子力学的には、「注意する」
と言う行為の影響はあっても、心配するという心労・漏電
は、まったくムダでマイナスな可能性が高いです。
だから、「いろいろな問題があれば、心配せずに静観する」
、これが心配する側にも、心配さ知れる側にも、最善と
なる可能性が高いのです。
要するに、
* 幸福とか不幸だとかに、こだわらずに、不幸には大きな
視点から見てみること。
* 色々な問題には、心配するよりも、冷静に静観すること。
このようなことが言えそうです。
以上のような事柄を自分の生活の中で実践的に試してみる事を
参考にしていただけば幸いです。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人の道徳心
「レッテル貼り」
否定的なレッテルを貼られると、
それによって評価が左右されることもあります。
ある人の本の中に
「スペインは悪いことをしたというレッテルを
世界中に貼られたために、
スペイン人はしょげてふるわなくなった。
一方、イギリス人はうんと悪いことをしているのに、
イギリスはいい国だと言われるから
今でも大きな顔をしている」
という趣旨のことが書いてありました。
国家についても個人についても、
どういうレッテルを貼られるかというのは
重要なことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の諺 「不言実行(ふげんじっこう)」
【意味】
あれこれと目標や理屈などを言わずに、
やるべきことをだまって実際にやること。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・