「すべては自分が預かっているだけ」
過去にも、未来にも、今も、何も所有せずに、
何も持たずに、何物にも執着せずに、
自分の為の取り置きをしない人。
そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。
(原始仏典 ダンマパダ26章-421)
それは自分のモノだ、自分の所有物だ・・・・、
という思いが強く成るほど、その人は、
* それを無くす法則がコノ世に有ります。
* それ、が自分の思い通りに成らなく成って行きます。
* それが、自分から離れ始めます。それを無くし始めます。
このような因果の法則が、コノ世に貫徹しています。
ソレ、とは何にでも言えます。
恋人でも、家族でも、財産でも、仕事でも、投資でも・・・・、
それは自分のモノだ、と思い始めることで
自からの束縛・強要・自我(ワレヨシな思い)が強く成り始め、
自分自身が段々とその物事から嫌われて行きます。
本当に見事に嫌われて離れていくのです。
表面的な意識ではくその根底に在ります、「自分のモノだ」
という横柄な思いが、すべての関係を水面下で破壊して行きます。
共に味合う喜びや幸運を破滅させていきます。
しかし、コノ世で暮らすには、
自分の住まいも必要ですし、自分の服も靴も必要です。
自分の子供は、どうしても我が子だと強く思ってしまいます。
夫婦ならば、相手の隠れた行動が気になるものです。
では、どうすれば良いのでしょうか?
この項で釈尊は、
* 自分のモノだと思ってはダメなのです
* それに執着してはダメなのです
* 自分の為に持って置こうとするなと示されています。
つまりは、コノ世のすべての物事は、
家族でさえも自分が、
「預かっているだけ」
「自分に一時的に持たせて頂いているだけ」
という軽い視点がとてもとても大切なのです。
このような謙虚な姿勢で自分が居ますと、
家族とも良い関係が継続し、
自分の財産も無くさないように運気が向くのです。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「忠恕(ちゅうじょ)の心」
昔から偉いお坊さんは、
一滴の水でも単に捨てるのは殺生だといった。
同じ水を捨てるにも、
畑にかけたり鉢植えにやりなさい、と。
これが忠恕の心である。
忠とは真剣、恕とは思いやり、
ものすごく真剣にやると同時に
相手の立場も考えてやるのが
忠恕である。
これが世渡りには大切なのだというのである。
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