「すべてに対して一生懸命な姿が美しい」
コノ世のモノの一切が幻想であることを深く自分で理解
していること。それでも、人生を捨てるように生き急が
ない人。人生をムダに怠惰に過ごさない人。
このような人は、コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね
:生まれ変わり)を終わらせます。
それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.9)
* 幻想だと分かっていても、一生懸命に、丁寧に、生きる
ことが大切だ。と、釈尊は示されます。
この世では、小学生や中学生の頃は、「勉強なんて、何の
ためにするのかわからない」、社会人でも、「安月給なのに、
一生懸命働いたって・・・」、家庭の主婦でも「この退屈な
生活の繰り返しだけでせ、人生が終わるのなんて嫌」などと、
人間は思ったりします。
でも釈尊は、
* それがダメだとか、嫌だとか、ツマラナイものだからと
言って、手を抜いたり、簡単に捨ててしまうようではダメだ。
* コノ世は幻想だから、頑張らなくても良い。何だって良い。
では生けないのです。
* 大切なことは、幻想にも何に対してでも一生懸命にすること。
* ただし、すべては幻想だから、最高の努力はするが、それに
は執着はしない。という示唆を感じます。
人はどうしても自分が頑張ったことに過剰な執着をする為に、
輪廻(りんね:生まれ変わり。ヤッたらヤラれる世界)
の繰り返しが止まらないままなのです。
でも、日本の職人さんたちは、昔からこれを当たり前のように
実現していました。現に私の身の回りににもそういう立派な
89歳の職人さんが今だ現役で働いて下さっています。
自分に理の最高の最善の仕事を、誰に強制されたり、言われな
くても尽くすのが、承認欲求や名誉を求めない無欲さを職人気質
に思います。
外国では、「安かろう、悪かろう」は当然のアタリマエ、値段
に応じたサービスは公平なことであり仕方ない、という解釈が
されがちです。
でも日本では、「安かろう、悪かろう」は恥ずかしいこと。
安くても、良いものを目指すという気質が昭和までは完全にあ
りました。
今でもも日本の観光サービス業が外国人に高く評価されますが、
安い月給でも現場で頑張るサービス業の社員さんが多いからだ
と思います。
よくよく考えてみますと、誰もが必ず死ぬのに、喜怒哀楽をし
ながら懸命になんとか頑張って生きています。この理を見まし
ても、誰もが保証が無い中を生きて来ました。
しかし、人間は自分が頑張ったことに過剰な執着をするために、
輪廻(生まれ変わり死に変わり、やったらやられる世界)の繰り
返しが止まらないままのようです。
どんな生活も、今生の自分の努力と因果の集積の上でのことです。
その生活を一生懸命にするが、何事にも執着はしない。
この継続が輪廻を止め、永遠の心の平安の世界へと導くという
ことです。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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