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11/3(月)「一人裸で生まれ、何も持たずに裸で一人死んで行く」

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「一人裸で生まれ、何も持たずに裸で一人死んで行く」

自分が求めるどんなものも

(家族、子供、仕事、財産、家、健康、・・・・)、

自分自身を脅かす災難があり、

渇望があり、病魔であり、悪性の腫瘍であり、

最悪でもあり、後から効く毒矢であり、

恐怖の対象なのです。

このように自分の欲望の対象には、

常に恐怖するべきことが付き物であることを覚悟しなさい。

だからこそ、どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.51)

私たちは日々、幸福を願い、平穏な生活を望みます。

しかし、どんなに気をつけていても、戦争や災害、病気

など、自分の力では避けられない「最悪」がやってくる

ことがあります。

真宗では、私たちがいくら努力しても、すべてを自分の力

で守ることはできないと教えます。

それを否定するのではなく、まずその現実をありのままに

受け入れることが釈尊の言われる智慧なのです。

そこで、釈尊の教えを引きながら、私たちはこう学びます。

「人は生まれたならば、サイのように一人で突き進む

覚悟でいなさい。」

生まれたとき、私たちは何も持たず、裸でこの世に来ます。

そして最後には、また何も持たずに一人でこの世を去って

いきます。

この「生まれも死も一人」という真理を見据えることが、

迷いや悩みを減らす道です。

サイのように生きるとは、私に内在する仏さまと共に、

力強く、しかし静かに、誰にも心が負けずに前のめりで進む

覚悟を持つことなのです。

私一人の力ではない。私には計り知れない大きなお慈悲の仏

さまと共に、人生の波風に押し流されるのではなく、必死で

自分の道を踏みしめて歩む。

その先に、私たちの心は涅槃、浄土の安らぎに至るのです。

ですから、悩む必要はありません。迷う必要もありません。

行け、行け、サイのように!!

今日も皆さまが、自分の道を力強く、しかし静かに歩み、

安らぎに至られますように。心より念じております。

 

 

【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一参考文献

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