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11/15(土)「我、神仏を尊びて、神仏に頼らず」

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「我、神仏を尊びて、神仏に頼らず」

「ああ、これは自我(ワレヨシ)の欲望の対象に成るものだな。

(異性・賭博・不倫・甘い物事・危険なクスリ・・・)

これを楽しんで欲望を発散したとしても、一瞬で終わるだけだ。

もし楽しんだとしても、小さなことであり

長くは続かないことは分かっているんだ。

これがもたらす後からの苦悩と後悔のほうが、

快楽よりも大きいことは分かっている。

これは自分を釣るための大きな釣り針であることを、知っている」

このように真理の知恵を学ぶ者は、

実際にひどい目に遭わなくても避けることが可能になる。

だから賢い人は、どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.61)

 

釈尊は、

真理の智慧を事前に知っていれば、

世間に在る数々の大小の釣り針

「人をダマす針、陥(おとしい)れる針」

を避けることが可能に成る。

その方法こそが、

* もし、それを体験した場合の後を、「先に」想像しなさい。

* それがもたらす最悪の場合の被害を、よく計算しなさい。

そして、

* それを体験したとしても、一瞬で終わることと、

長くは続かないことを「先に」想像しなさい。

* コノ世に在る快楽は、それがもたらす

後からの苦悩の方が大きいことを知って置きなさい。

* 魚を釣る釣り針は、世間の中で

「人に対しても」常に垂らされている。

このようなことを事前に知る真理こそが、

人に痛い体験をさせずに

涅槃(ねはん:浄土)に導くと釈尊は示唆しています。

 

「我、神仏を尊びて、神仏に頼らず」

私は常に仏と共に在るという絶対的な自覚と安心。

結局、釈尊は「智慧」と「自分の良心」を信じる

重要性をこの項では説かれています。

 

日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一

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