
「一分でも一秒でも穏やかに」
人間を構成する五つの要素である
五蘊(ごうん)が起こす執着を断ち切りなさい。
五蘊とは、自分自身が生きている
(心身の活動をしている)だけで湧き起こる感覚であり、
これに愛着や執着を持ち過ぎますと、
苦しみが次から次へと心に湧き上がって来ます。
五蘊とは以下の五つを指します。
・ 色(しき)=「身体」機能が活発であるために
湧き起こる攻撃性や性的反応などの苦しみ。
・ 受(しゅ)=物事からの刺激を受ける「心」の反応。
悪口などを受けても、なんでも被害妄想的な
過大に受け取る癖。
・ 想(そう)=見たものについて何事かを
イメージする「心」の機能。
自分が見た現実以上の過大な妄想を見ること。
・ 行(ぎょう)=イメージしたものについて、
自分の意志判断を下す「心」の機能。
・ 識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、
内的作用(意志判断)を総合して
状況判断を下す「心」の機能。
この五蘊が引き起こす愛着や憎悪を断ち切り、
心の安定への障害を放棄(手放すこと)しなさい。
そして、いかなることにも
公平性・中道(ほどほど)から離れては生けない。
どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、
自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.66)
私たちは、日々の生活の中で
仕事、人間関係、情報過多の社会。
さまざまな「刺激」に心を揺さぶられながら生きています。
しかし、これは今に始まったことではありません。
2500年前の釈尊は、
すでに“人が心を病む原因”を示していたのです。
人間は、自分の五感と心(五蘊=色・受・想・行・識)が
ストレスの中で暴走し始めると、
苦しみが次々と湧き上がってきます。
そして釈尊は断言します。
「苦しみのすべては、他人だけが原因ではない」
私たちの心の奥深くにある癖、サガが
苦しみを増幅させてしまうのです。
他人と自分を比べると、
心は簡単に不安定になってしまいます。
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あの人より能力が低いのでは
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自分はお金がない
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見た目が劣っている
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学歴が足りない
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家庭の事情が恥ずかしい
これらは、心に潜む“コンプレックス”が作り出す幻です。
この幻が、他人からの刺激を過大に受け取らせ、
苦しみを濃くしてしまいます。
大切なのは、
「ああ、いま自分は比較しているな」
と冷静に気づくこと。
釈尊はこう語ります。
「五蘊が生む愛着や憎悪を手放しなさい。」
しかし突然「断ち切りなさい」と言われても難しい。
だからこそ、釈尊の言葉は優しいのです。
嫌な感情が湧いたら、
「もう分かったよ」
「そんなに私を苦しめなくていいよ」
と、そっと手を緩めてあげる。
拒絶でも、否定でもない。
ただ“手放す”。
これが一番やさしく、そして一番強い方法です。
その“認識”こそが、
あなたを再び中道へ戻してくれます。
良いことでも、悪いことでも、
過剰になった途端に心は苦しみ出します。
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喜びすぎれば不安が生まれ
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憎みすぎれば怒りが増え
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比べすぎれば自己嫌悪になる
だからこそ釈尊は、
「ほどほど」=中道
を忘れるなと教えました。
中道とは、心の平衡点。
嵐の中にあっても揺れすぎない場所。
そこでこそ、私たちは本来の自分を取り戻せます。
苦しみを生むのは、世界ではなく“心の反応”。
心の反応を軽くするのは、
戦うことではなく
手放すことです。
賢くなるのではなく、アホウになる事です。
どうか今日も、
心を少し軽くして、
静かに、一分でも一秒でも穏やかに
お過ごしください。
参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一
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