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12/21(日)「一番厄介なのは自分の心」

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いちばん厄介なのは「自分の心」

 

私たちは、つい

人・出来事・環境のせいにしてしまいます。

けれど釈尊は、はっきりと見抜いていました。

 

人生を乱している原因は、外ではない。

自分の心、特に自我(ワレヨシな思い)であると。

 

この自我は、不安になると正しさを主張し、

誰かを責め、状況を変えようとします。

しかし、どれだけ相手を変えても、

心は少しも楽になりません。

 

なぜなら、

自分の心を安心させられるのは、

他人ではなく自分自身だけだからです。

 

釈尊が示した結論は、

自分の最大の敵は、他人ではなく自分の自我だった

という、少し耳の痛い真実でした。

 

そして不思議なことに、

自我が静まり、心が丸く収まったとき、

人生は自然と整い始めます。

 

追いかけなくても、求めなくても、

安心のある人のもとへ、幸運は自ら近づいてくる。

 

これが、

現代にもそのまま通じる

仏教の核心です。

 

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上善如水エッセイ 

「来年の干支は馬」

 

 来年の干支の馬飾りが、

私が理事長を務める志和龍城認定こども園から送られてきた。

毎年のことながら、この飾りは本店をやさしく彩ってくれる。

 

飾り付けをしていると、お客さんたちから

「あら、まあ、かわいい」

と、自然に声があがる。

 

その一言で、場の空気がふっと緩む。

笑顔が生まれ、言葉が交わり、ほんのひととき、店があたたかくなる。

実に、ほのぼのとした時間だ。

 

来年の干支は「馬」。

 

馬といえば、

前に進む力、

風を切って走る生命感、

そして人と共に歩んできた存在。

 

けれど私は、

ただ速く走る象徴としての馬ではなく、

人の暮らしを黙って支えてきた静かな強さを思う。

 

重たい荷を背負い、

長い道を歩き、

文句も言わず、

ただただ自己主張せず役目を果たす。

 

水のように、

目立たず、

逆らわず、

それでいて確かに流れを前へ運ぶ。

 

上善は水の如し。

 

水は争わず、

低きに流れ、

必要なところを潤していく。

 

馬もまた、

主役になろうとせず、

誰かの人生の前進を支えてきた。

 

店に飾られた小さな馬を見て、

「かわいい」と笑う声が生まれる。

その一瞬こそ、

この一年をどう生きるかを、静かに教えてくれている気がする。

 

速くなくていい。

派手でなくていい。

誰かの歩みが、少しでも軽くなるように。

 

水のように、

馬のように、

淡々と、前へ。迷わず、前へ。

 

来年もそんな一年でありたい。

 

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早朝の作務のひと時

「人間は早々変われるものではない。だから・・」

 

人間は、

早々簡単に変わることはできない。

考え方も、癖も、生き方も、

昨日今日で別人のようになることはない。

 

だからこそ大切なのは、

変わろうとすることより、崩れないこと。

油断しないこと。落ちて行かないこと。

「まあいいか」を許し過ぎないこと。

 

そして何度でも、

「これでいいのか?」と自分に問い返すこと。

 

人は弱い。

だから問いを失った瞬間に、静かに

自分で何も気づくことなく落ちていく。

逆に言えば、問いを持ち続けている限り、

人は簡単には落ちない。壊れない。

 

変われなくてもいい。

ただ、目を覚ましたまま生きることて゛ある。

「気を発酵させる器を持っているのが人間」

 

人間は

ただ気を受け取る存在ではなく、

様々な体験によって気を“発酵させる器”を持っている。

喜び、苦しみ、迷い、失敗、愛情、後悔。

そうした一つ一つが混ざり合って、

誰のものでもない

その人だけのオリジナルの気が育つ。

それが
・言葉のにじみ
・佇まい
・背中の静けさ
・無理のない行動力

となって、外に滲み出る。

だから魅力は「作る」ものではなく、

生き切った気が、自然に漏れ出た状態なのだ。

もし最初から完成していたら、

特性も、深みも、気力も、魅力も育たない。

遠回りし、揺れ、満ちて、初めて

「その人にしか出せない気」になる。

この「体験して気が育つ」という構造そのものが、

人間に生まれた意味だと、私は思う。

つまり、

人間とは「気を調律しながら熟成させる存在」なのだ。

 

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