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1/19(月)「母が本堂から出ていく時」

更新日:

「母が本堂から出ていく時」

 

若い頃のことです。

自坊で法座を終えたあと、

「今日はいい説教ができた」

そう思った日がありました。

 

言葉は整い、話の流れも悪くない。

和讃もきれいに入り、

自分なりには、十分に満足していたのです。

 

ところが、その時でした。

本堂の前列に座っていた母が、

話の途中で、すっと立ち上がり、

「う〜〜ん……」

そう一言だけ残して、

本堂の外へ出て、母屋へ帰っていきました。

 

私は内心、

「ええっ……?」

言葉を失いました。

 

それからしばらく後、

また仏教婦人会の法要で法話をする機会がありました。

 

前回のことが心に引っかかっていた私は、

うまく話そうともせず、

評価されようともせず、

ただ、自分の胸に正直に語ろうと決めました。

 

守る言葉も、飾る言葉も置いて、

今、自分が本当に感じていることだけを、

素直に淡々と話しました。

 

法話が終わると、

母がこちらを見て、にこにこと微笑みながら、

「ええねえ〜〜」

そう一言、言ってくれたのです。

同じ母。

けれど、反応は真逆でした。

 

この二つの出来事から、

私は大切なことを教えられました。

 

最初の法話には、

「伝えたい」「分かってもらいたい」

「上手だと言われたい」

そんな自我が前に出ていました。

 

自分をよく見せたい。

僧侶として評価されたい。

知らず知らずのうちに、

言葉の中心が「自分」になっていたのです。

 

二度目の法話には、

守る自分も、飾る自分もいませんでした。

ただ、

「今の自分が、ここで感じていること」

そのまま素直な言葉になっていました。

 

母は、話が上手か下手かを

聞いていたのではありません。

 

有名な布教師かどうか。

人気のある仏教の先生かどうか。

そんなことも、一切関係ありません。

 

母が聞いていたのは、

その言葉が、どこから出ているか

ただ、それだけでした。

 

良心から出た言葉は、

短くても、下手でも、ちゃんと伝わる。

 

けれど、

自我、計らいから出た言葉は、

どれほど上手に情で訴えたり

自身の信心を熱く語っても、

母の心にはまったく届かなかった。

 

最前列の母は

寺族であるのに、

迷いなく本堂を出ていったのです。

「う〜〜ん……」

その一言とともに。

 

17日、阪神・淡路大震災の灯籠の文字に

「つむぐ」という言葉が選ばれているのを見ました。

糸を撚り合わせるように、

想いを、記憶を、

静かにつないで、

本当のことを未来へ手渡していく。

 

母の
「う〜〜ん……」

母の
「ええねえ〜〜」

 

この二つの一言は、

どんな教科書よりも、

良心とは何かを、私に教えてくれました。

 

良心とは、

飾らないこと。守らないこと。

正しく見せようとしないこと。

ただ、自分の内にある「ほんとう」を

そのまま差し出すこと。

 

私は、

この母の感性を通していただいた真実を、

これからも静かに、未来へと「つむいで」いきたい。

 

そう思いながら、

今日もまた、このxを書いています。

合掌。

 

※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。

今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。

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