
反省できる私の不思議
人は、自分を正当化して生きています。
間違ったときも、つい理由を並べてしまう。
けれど、ふと静かになったとき、
「ああ、私にも非があった」と気づく瞬間があります。
その気づきは、どこから来るのでしょう。
自分で自分を裁くなら、
もっと強く責めてしまうはずです。
それでも、つぶされずに反省できるのは、
すでに受けとめられている安心があるからではないでしょうか。
仏さまは、私が立派になるのを待って救うのではなく、
迷いのただ中の私を、先に抱えていてくださっている。
だからこそ、私は自身を振り返り、
「すみません」と素直に言えるのです。
反省できる身は、仏さまにすでに見放されていない身であったのです。
合掌
※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。
今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。