『どんなに才能があっても、
傲慢な人は人を幸せにかることはできない。
人間の第一条件は、
まず謙虚であること。
謙虚になるための確実で一番の近道が、
トイレ掃除です。』
掃除をするとき、
上を向いて掃除をする人はいません。
掃除は必ず、下を向いてしなくてはなりません。
つまり、掃除をする形そのものが
謙虚な姿だと言えます。
あの人は、掃除をして傲慢になったという
話を聞いたことがありません。
掃除を続ていると、例外なく謙虚な人間に
変わります。
自分が謙虚になりますと、自分と接する周囲
の方々の対応も自然に変わっていきます。
今まで挨拶もしなかったような人が、挨拶を
して下さるようになります。
とにかく私たち人間は、自分のことは棚に
挙げて、相手だけを変えようとするものです。
しかし、自分の思うように相手を変えようと
しても、金輪際変わるものではありません。
相手を変えようと願うのであれば、まず自分
自身を変えようとすることが先決です。
自分が変わった分だけ相手も変わります。
「私が私を捨てれば、そこにあなたがいる。
あなたがあなたを捨てれば、そこに私がいる」
(山本招之助)という言葉がありますが、その
通りだと思います。
何よりも嬉しいのは謙虚な生き方をしていますと、
後味のいい人生が送れるようになるということです。
幸せな人生を送るためには、後味のいい生き方を
することに限ります。※「掃除道」著 鍵山秀三郎
(亀井民治編)より抜粋転載
4年前から、
会社の近所にある「大道沢緑道」を
30分朝夕の散歩をしていますが、
すれ違う人にはこちらから必ず
「おはようございます」「こんばんは」と
挨拶をするようにしています。
人によっては気持ちよく
挨拶を返して下さる人もいれば、
無言ですれ違っていく人もいます。
また、タバコのゴミやペットボトルや空き缶、
ティシュに弁当箱やお菓子の箱など、
散歩中には道端にいろんなゴミが捨てられて
います。
歩きにがら小さなゴミでも、
大きなゴミでも、
道端のゴミでも、
草の中に入り込んだゴミでも
見つけたら、腰をかがめてサッとひらう。
この実践を毎日続けているだけで、
観察力と気づきに対する直観力が
研ぎ澄まされてきます。
同時に
突発的な問題に対する判断能力が
高まってきます。
4年もこのゴミ拾いを
スポーツ感覚で繰り返していると
すぐにゴミを見つける
視覚がとても鋭くなりました。
とにかく
散歩中には老若男女を問わず
いろんな人に出会いますが、
ゴミを拾っている人は全体の1~2パーセント
(私や法子さんやうちのスタッフ。そして完全掃除武装
で早朝早く歩いてらっしゃるロボコップの
ようなおじさん)ぐらいでしょうか?
他はまず見たことがありません。
また、
タバコやゴミを捨てる人は捨てる一方で、
まず、拾うことはしないということです。
あとの人はゴミがあろうがなかろうが
我関せず淡々と健康の為に
歩いてらっしゃいます。
まあ、
それはそれとして、
このゴミを拾う、
ゴミを捨てる、
ゴミが目に入らない。
こういった陰徳の差は、
年月が経てばたつほど大きな差となって
表れてきます。
人生の善徳貯金にしても、
悪積貯金にしても、こうしたことの
何気ない日常生活の積み重ねですから、
ゴミ一つと言えども、
小さなことではなく
実に大きなことであるのです。
ただ、
東京に行って、
野外駐車場のゴミの山を見た瞬間、
「これはムリや。関わるまい」
とは思いましたが・・。
その昔、
「便所掃除」の一燈薗の石川洋先生に
言われた言葉は、
「志は高く、実践は足下から」。
また、
「足元のゴミ一つ拾えぬほどの人間に
何ができましょうか」
喝!です。