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7/31(月)「本当は預かっているだけなのです」

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「私たちには家族がいる。私には財産がある」と

思い込んで、人はそれに関していろんなことを悩みます。

しかし、

本当は自分の肉体でさえも自分の所有物ではありません。

さらには家族も自分の所有物ではありません。

ましてや消えて行く財産などが自分のものであるはずはないのです。

 

[原始仏典『ダンマパダ』第五章-六十二番]

 

「人は所有欲を持ち始めますと苦しみが始まる」と釈尊が

おっしゃっています。

しかしここで、この言葉を読んだ人が陥りやすい罠も

あります。それは「責任感」ということです。

 

この項の言葉の表面だけを捉えますと、「家族も貯金も、

自分の肉体も自分のものではない。だからどうなろうと、

かまわない、執着はしない」とも誤解をされかねません。

しかし、釈尊の真意はそんなことにはありません。

 

「自分のものではない。だから勝手にしなさい」ではないのです。

これでは生きたところで、何の成長も起こりませんし、堕落

していくだけです。

そうではなくて、「そのすべてに最善を尽くして、責任を持ち

ます。しかし、それに対して執着はしません」という態度が、

時間経過と共にすべての悩みを自分から解放させていきます。

後から自分が後悔することも起こりません。

 

自分がするべきことをしたうえで、それへの執着を持た

なければ、その人は真の意味でこの世の勝利者なのです。

貧富の差も関係ありません。

魔物からの誘惑に負けなかった数少ない人になれます。

与える一方の人々ばかりがいる世界へと引かれること

になります。

 

だから、家族も肉体も財産も、「自分が預かっているだけ」

という思考に自分が切り替えることができますと、

明るい日差しを浴び始めます。

霊的な視点から観ましても、「自分は今預かっているだけ」

という思考は、すべての苦悩を切断していき、今の自分に

最善を尽くさせます。

 

「預かったものは、大切にしていつかはテンに返しを

しなければいけない」という態度は、すがすがしい風と

共に「本当の自分」を生かしていきます。このように爽

やかに生きていくことで、人は心の解放へと向かいます。

 

柔訳「釈尊の言葉」第一巻

著:谷川太一 より転載

 

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松島家の三回忌のお母さん。七回忌の長男さんのご法事を

新宿のご自宅でお勤めさせていただきました。

 

喪主であるお父さんをのぞいてみんな女性ばかり。

 

中島みゆきさんの「糸」を題材として、

「仕合せ」とは?「目に見えないご縁」とは?

そんなお話をさせていただきました。

 

この世は、親子や兄弟、姉妹、夫婦、友人や知人、偶然

めいた必然のご縁で成り立っていて、縦の糸と横の糸の

ように必ず個々の役割があり、支えあって世の中が成り立って

いるわけです。

 

その支えあいの中、それぞれが良いも悪いもいろんな

体験をしながら慈悲の心を学んで育てていってるんだろね。

 

木更津工場の高橋さんのご主人の3回忌。無事お勤めさせて

いただきました。よかったね。ご縁があって。

 

 

 

 

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