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「思いやりと感謝の気持の発揮で心の掃除をしていきましょう」12/12(火)

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仲間や家族と一緒にいますと、

遊びや楽しい物事があるものです。

もし自分に子どもがいるならば、

家族への執着愛は大きなものです。

しかし誰もが必ずいつかは、

大切な人と別離が生じるのが

コノ世なのです。

コノ世はそういう世界だということを

覚悟して忘れずにいましょう。

どんな交わり、集団の中に

自分がいましても、自分一人で

歩く覚悟を持ちなさい。

まるで一本角が立つサイのように

一人で歩みなさい。

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第三節-四十一番]

 

釈尊いわく、

(1)家族や仲間と、いつかは別離することなど

一切考えずに暮らす生活。

自分の子どもとも、必ず別離するなどの

縁起の悪いことは信じないで、

一切考えないで今を楽しむ生活。

これとは反対に、

(2)家族や仲間と、いつかは必ず別離することを

覚悟しながら、今の生活を楽しむこと。

いつ何どき家族や友人と死別しても、

自分が後悔しない対応を普段から生きること。

この二つの生き方には大きな違いがあると、

この項で釈尊は示されています。

 

何がどう違うのでしょうか?

(1)の生き方ならば、家族や友人に対して、

*自分の感情に任せて好きなことを言って、

喧嘩をしても気にしない。

*嫌味を言ったり、

イジメをすることもあるかも知れません。

 

(2)の生き方ならば、

*今日が一期一会

(いちごいちえ:一生に一度の貴重な面会。

これが最後の面会)だと思い、

ムダな喧嘩をする気にもならない。

*相手を愛情深く、

感謝の気持ちで見ることができる。

*相手の些細なことは気にならない。

 

このようなことが言えると思います。

他人と喧嘩をするのも、

その人が嫌いだけれども、

ずっと生きている人だという前提が

あるから喧嘩ができるのかもしれません。

もし自分の嫌いな相手が突然に死にますと、

喧嘩をした者同士、喧嘩をした間柄ほど、

色々な感情が後まで残るものです。

親子ならば一生、

繰り返し思い出すものです。

これがコノ世なのです。

 

いつもの食事も毎日食べていますと、

明日も食べられるという前提を

勝手に思っているものです。

でも、明日からはもう食べられないと

認識した上で食べるならば、

いつも以上にしっかりと料理を見て味わうものです。

同じ一回の食事なのですが、

その感動の差には大きな違いが生じます。

 

これと同じことが、

必ず別離することを覚悟した上で

生活をしますと言えるわけです。

死を忘れている生活とは、

その中身に天地の違いが

長い人生では生じるということです。

 

今日は、他人や色々な物事

(動物・植物・乗り物・食事・仕事⋯⋯⋯)を

「一期一会」「今日が最後」

という視点で見てみましょう。

普段には気づけない、

何か大切な気づきが生じるものです。

それに対しての感謝が、

新たに湧いてくるかも知れません。

 

「柔訳 釈尊の教え 第一巻」

著:伊勢白山道より転載

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お客様の声

君津本店

●パーカーをシミ抜きに出された方が

お受け取りに来て、

「おーきれいになっている」と

おっしゃって頂きました。

(30代 男性)

 

伊勢丹新宿店メンズ館

●ダウンジャンパーをお出しになられたお客様

「いつもきれいにしてくれてありがとう」

「来年もよろしくね」

とお声をはずませてお喜びでした。

(50代 男性)

 

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