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「今の瞬間を生き切れば、その後はお任せの心で生きるのが大切」1/18(木)

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すべての時間は、

時系列の縦の流れではなくて、

並行してすべてが同時に存在しているらしい。

今という瞬間に感謝して

生き切ることが出来れば、

それは過去も未来も全てが仕合せ、

ハッピーエンド

・・・・・・・・・・・・・・・

釈尊は、街に住むバラモン教の

司祭の男性に対して、

「人間は、自分が生まれた家の

身分階級によって、

最下層の身分階級の人に

なるのではありません。

自分が生まれた家の

身分階級によって、

最高の身分階級の人に

なれるのではありません。

本人自身がしている

生活行為の内容によって、

最低の人間になったり、

最高の人間になったり、

と決まるのです」

このように再度の説法をしました。

 

以上のすべての釈尊の説法を聞いた、

祭火の種火を祭る司祭の家柄の主は、

「本当に素晴らしい説法です。

真に悟った者である

ブッダである釈尊あなたの話は、

倒れた人を起き上がらせるように、

フタのしまった

お宝の箱を開けるように、

道に迷った人に、

進むべき方向を教えるように、

暗闇にランプの火を差し出して、

そこにある真実を照らし見せるように、

様々な真理のお話を自在に多用して、

見事に説明をして納得させます。

もう私は、あなた釈尊に

完敗をいたしました。

私は在宅の信者として、

あなたのお話を信仰します。

どうぞ私を受け入れて欲しく思います」

このように街のバラモン教の

司祭の男性は、

熱心な仏教徒としても生きました。

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第七節-百四十二番]

 

仏典の第七節の表題は、

「身分制度について」

という意味でした。

そもそもの始まりは、

街に住む司祭が

朝の祭事の準備を

しようとしている時に、

糞掃衣(ふんぞうえ)を着た

見ず知らずの若者・釈尊が、

家の門に近づいて来て、

「朝食を恵んで欲しい」と

申し出たことからでした。

 

バラモン教の司祭としては、

当時としては新しい、

何教ともわからない異教徒の若者が

訪ねて来て、汚く見える

臭そうな衣装を着て立ち、

おまけに朝食を出して欲しいと

言われたたわけです。

これに対して、普通の家の人でも

「え?」となるものです。

 

しかも祭祀の種火を

先祖代々にわたり

預かる家柄の主人です。

せっかくの朝の準備が台無しだと感じ、

朝食を出して欲しいと頼まれたことにも怒り、

釈尊に水をかけて

追い払おうとしたわけです。

 

そこで釈尊が、

「ちょっと待ってください」と言い、

色々な話を始めたのです。

※その状態から、

釈尊の話を黙って聞いた司祭も、

心ある偉い人だった。

*相手に聞かせる雰囲気を持つ釈尊は、

やはりサスガだった。

このようなことを思います。

 

これは、飛び込み営業を

経験した人ならばわかりますが、

いきなり訪問をして、

相手に話を聞いて

いただけるだけでも大変なことです。

しかも汚い身なりをしていれば、

それだけで怪しまれて、

扉を開けてもいただけないものです。

営業マンの清潔な身なりは、

必須条件です。

「靴が汚い営業マンは売れない」

⋯⋯これは、ビジネスマナーの

常識とも昔から言われてきたことです。

 

では、司祭はなぜ黙って、

釈尊の話を聞いたのでしょうか?

それには、ボロを着ていても

釈尊の慈悲深い目の視線が

わかったからかも知れません。

そして、やはり司祭だという

人徳もありますが、

釈尊の話は、

・非常に納得させる話だった。

・具体的な例も用いた、

非の打ち所がない内容だった。

・斬新な真理を含んでいたから。

このようなことが言えると感じます。

 

*人間は、自分自身がしている

生活行為の内容によって、

最低の人間になったり、

最高の人間になったり、

と決まるのです。

 

*人間は、身分制度により

人生が決まるのではありません。

 

*今の自分の生活内容により、

その人が決まっていくのです。

 

これを忘れないで、

今日も良心に沿って生きたいものです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第二巻」

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