思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

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「人生を楽しむためにすべてのものを求めていたが、あらゆることを楽しめる命を自分はすでに授かっていた」1/25(木)

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立っている時も、

歩いている最中も、

座っている時も、

横になってくつろぐ時も、

睡眠に落ちている時以外は、

無限に広がるような

大きな愛情(慈悲・情け心)を思いつつ、

いつでもこの愛情の中に、

自分の心を住まわせるようにしましょう。

仏教の教えとして、この状態こそが、

梵(宇宙の法則)に住む最高の心境なのです。

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第八節百五十一番]

 

はたして人は、自分の心を住まわせる場所を、

自分で選択ができるのでしょうか?

釈尊は、それができるとおっしゃっています。

しかも、それが宇宙の法則に従った、

最重要なことだと指摘されています。

 

考えてみますと、

自分の心をどこに置くのか?

これを人は意識していません。

私たちは、自分の感情のおもむくままに今日も、

・ああ、仕事が嫌だ。

・学校に行きたくない。

・あの人に腹が立つ。

あの人が嫌いだ。あんなことを言われた。

・今日も元彼のことを考えてしまう。

などなどと、自分の心を、

ある特定の場所に確かに置いているのです。

 

今日も、怒りの世界に心を置くのか?

色情の世界に今夜も心を置くのか?

妬みの世界に心を置き続けるのか?

知らず知らずのうちに、

人は色々な世界に自分の心を置いています。

 

そこで釈尊は、

「無限に広がるような

大きな愛情(慈悲・情け心)の思いの中に、

自分の心を住まわせるようにしましょう。

置きましょう」

と提案されています。

 

そして、この状態に心を住まわせることが、

仏教における最高の梵の境地、

涅槃(天国)に生きながら

住む状態だと指摘しています。

この雑多な欲望と色情の社会の中でも、

人は自分の心だけは、

愛情という慈悲の世界に住むことが可能なのです。

自分の心は慈悲(思いやり)に住んだまま、

この社会の中を歩いて行きますと、

どんなダメな人を見ましても、

*毛嫌いする気持ちになれません。

*それも、仕方がない、と思えます。

*大きな視点で、眺めることができます。

*自分の心が、影響を受けることがありません。

 

さあ今日も、皆様はどんな心境に

自分の心を住まわせるのでしょうか?

色々な感情の世界に、

人は自分の心を置くことが自由にできます。

それが、怒りの世界でないように、

ただ心配だけをする世界ではないように、

できれば愛情や思いやりの世界に、

自分の心を置きたいものです。

 

これができない場合は、

*無心で、行動に専念することが大切です。

*働いていれば、行動していれば、

漏電する心配を抑えることが可能です。

 

とにかく今日は、

*自分の心を置く場所を選択するべき。

*それを意識したほうが良い。

という指摘を参考にしていただければ、幸いです。

これは、悪い憑依を避けることにもなります。

 

人間は一時的にでも、

自分が思っている最中の世界に住んでいる。

これは重要なことなのです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第二巻」

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お客様の声

君津本店

★かなり汚れた吐きジミのスーツの

仕上がりを見て、「きれいになって

ます!!」と。お父様がご来店され

ました。(50代 男性)

 

木更津店

●コートのシミ抜きがとてもきれい

になって、お客様も喜ばれました。

 

伊勢丹新宿店メンズ館

★白いダウンジャンバーの仕上がり

に、「きたなかったのに、かなりき

れいになりましたね。」と、ニコニ

コ大喜びでした。(30代 男性)

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