思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

「『雨降らば降れ 風吹かば吹け』の心境で生きることが大切」3/6(水)

投稿日:

 

では、よく聞いて欲しい。

私、釈尊の言葉を。

生きる人も、すべての神々も、

苦しみ、あえぐ人々を見れば、

同情をして欲しい。

苦しむ人々は、

他の人々や精霊に対して、

「何らかの供物」を

捧げる人だと言えるからです。

これを見落とさずに、

温かく見守ってあげて欲しい。

[原始仏典『スッタニパータ』

  第二章第一節-二百二十三番]

 

釈尊の重要な観念の一つが、

「天上天下唯我独尊」です。

*人類は全体で「一人」である。

*他人=自分自身、である。

つまり、苦しむ人を見かければ、

*それは他人ではない。

*過去か未来のいつかの自分の姿である。

*だから、心中だけでも良いから、

同情をしてあげて欲しい。

 

こういうことを、

生きる人々にも、神々にも、

釈尊が提示しています。

すべては一つ、

という釈尊の心境では、

神々も上とか下とかではなくて、

同じ一つなる存在だったのです。

 

そして、次に釈尊の重要な指摘は、

*苦しむ人々は、

他の人々や精霊に対して、

「何らかの供物」を捧げる人だと言える。

 

これは、釈尊がもの凄く

霊的な真理を述べています。

どうしようもない

ダメな状態の人が、

何らかの事情でおられるものです。

普通の安定した

生活をする人から見れば、

そういう人たちに表面では

同情したとしても、

「私とは違う」

「どうして、そういう人が存在するのかな」

と内心では思ったりするかも知れません。

 

または自分の家族に、

どうしようもない人がいれば、

「もういなくなって欲しい」

「あなたは何のために生きているの?

なぜ、ここにいるの?」

と思うこともあるかも知れません。

 

でも釈尊は、苦しんでいる人や、

どうしようもないダメな人も、

*あなたの代わりに、

何かの苦労を背負って

くれている人かも知れない。

*家族に、供物(家系の因果の昇華)を

もたらしてくれている。

*周囲に「こうなってはいけないよ」

という姿を反面教師として

見せてくれている。

という示唆をされています。

これは、まさに因果論の視点では

言えることなのです。

 

昔の人は、「袖すり合うも他生の縁」

と言ったものです。

他人と服が触れ合う距離になるのも、

前世からの深い因縁があってこそ、

そうなれるという意味の言葉です。

 

*他人との縁は、

すべて単なる偶然ではなく、

深い因縁によって起こるものなのです。

 

つまり、コノ世には

偶然というものは一切ありません。

すべては自分自身が持つ

縁の上でのことなのです。

だから、ダメな他人と

出会ってしまうことも、

自分自身の問題でもあるのです。

 

このような視点を見落とさずに、

どんな他人も、

温かく見守ることができる

自分でありたいものです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第三巻」

・・・・・・・・・・・・・・・

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.