世の中を理解し、最高の真理を見、
激流と大海を渡り、束縛から解き放たれ、
なにものにも依存することなく、煩悩の汚れのない人、
賢者はそういう人物を聖者であると知る。
(原始仏典『スッタニパータ』第一章第十二節ー二百十九番)
私たちは、善も悪も「やったら、やられる」「自分がしたことは返される」という
繰り返し(輪廻)の体験を受けるために、何度も生まれ変わっています。
今生も生まれたということは、まだこの「やったら、やられる」「したことは返される」
という中にいるわけです。
前の世で自分が行った、その反射を受ける立場を体験するために、今回も生まれている
側面があるわけです。
だから不幸の真実(表面的には分からない)とは、実は、輪廻から解放させるための、
実は幸運(この真実も分からない)の切符である側面もあります。
自分を解放するために、因果を相殺してくれているのが、不幸の正体だと因果論で
は言えるわけです。
私たちが因果論から学ぶことは、
●自分が嫌なことをされても、相手を絶対呪わないこと。自分は不幸だと思わない
こと。それが心から腑に落ちれば、「ありがとう」と感謝することが絶対得。
●でもされることが極端であれば、コノ世的な法に従った対応は行って良い。
●自分は、「他人には迷惑行為をしない」と意識して努力する。
●知らずに他人に迷惑をかけていることもあるので、「自分は出来るだけ愛情ある良
いことをしていこう」と決めておくこと。公共のゴミ拾い、掃除等も。
●悪かったと思ったら「すぐに相手に謝る」と決めておく。
これで善悪の相殺が起こって、すべてが上書き修正され、次に生まれ出る因果が消えて
行きます。生まれ出て宿業を昇華する理由が無くなっていくわけです。
相殺の結果、善徳貯金ばかりになれば、アノ世の涅槃(浄土)で永遠に暮らすのが仏教の
目的です。でも浄土に安住するのではなく、菩薩としてコノ世に人として生まれて、再
び遊びに来ます。そして嬉々として、多くの人々のためになることをしたがります。
今日も真理を学びながら、本質的なことを思い出しながら、嬉々として生活を楽しみな
がら、嫌な刺激も軽やかに流しながら、相手の身に成って自分は自他ともに喜びのある
ことだけを意識して生きたいものです。
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日本人の道徳心
「仕事は真面目に」
仕事をやってみたが面白くないというのは、
真面目さ、真剣さの度合いが足りなかったからだ、
と断言してもいいほどである。
仕事は真面目にやると面白くなる。
これは人間の本質だといっていいだろう。
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今日の諺 「大和撫子(やまとなでしこ)」
【意味】
日本の女性の美しさを表す言葉。
おしとやかで清楚な人のことを表す。
「大和」とは日本の別名。
「撫子」は、秋の七草の一つで、
八~九月ごろにうす紅色の花を咲かせる、
ナデシコの花のこと。
【由来】
女性をナデシコの花にたとえるのは、
奈良時代の『万葉集』という歌集の中にもみられ、
大昔から行われていた。
「撫子」は撫でるように愛おしい子という意味。
平安時代に、中国から別の種類のナデシコの花が伝わってきて、
日本に昔からみられたナデシコを
「大和ナデシコ」と呼ぶようになったといわれる。
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お客様の言葉
伊勢丹ウォータークリーニング
●トラウザーズにチョコレートのシミを
付けてしまって、しみ抜きをご依頼の方が
お受け取りに来られて、”取れてますね”と
おっしゃて頂きました。