思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

5/9(金)「目指せる自分であることが すでにゴールだった」

投稿日:

 

自分以外の他の存在を頼らずに、

自分の内なる大いなる存在だけを信じ、

自分の心の内に“絶対安心の境地”(ニルバーナ)が存在する

ことを信じ、生と死が切り替わることを恐れず、

素直に善行を行い、

自我の欲求からの行動をしない人は、

このような人こそが、最高の人間なのです。

(原始仏典 ダンマパダ7章-97番)

 

(1) 自分の良心に宿る(仏さまの御心)だけを信じましょう。

(2) 自分にも「絶対安心の境地」が心中に存在することを

    信じましょう。

(3) 自分がコノ世に生まれること、アノ世に死んで逝くこ

    とを恐れないこと。

(4) 色々と周囲の反応を気にせずに、自分の良心(仏さまの御心)

    が善いと思うことの行動を「する」こと。

(5) 心中では自分の悪い欲望を想像しましても、実際の「行動」

    には移さないように自制すること。

 

釈尊は、以上のことを「目指す」人こそが、

人間として既に最高の人物だと仰っていると感じます。

 

このような理想の人の話には、私たちが勘違する盲点が有ります。

こういう素晴らしい人になることがゴールだと考えてしまうのです

そうならないと意味がない、そうした先にさらに素晴らしい心境が

あるのだろうと、期待してしまいます。

 

しかし、なんと、実は「ゴールなどない」のが真相であり答えだった

のです。

人の「いのち(心)」は死後も継続しますから、いつまで経ってもゴール

は存在しないのが真理なのです。

 

「ingの最中」が今も、これからも永遠に継続します。

すると前記の教訓も、そういう人を自分が「目指す」ことが釈尊の真意

なのです。

このようになって今世を終わる。そして全く新たな心境が起こる、ので

はなく、未完成のままの中で「理想を目指すこと」こそが、

「今、ここ、私」を生きることであり、仏さまに生かされて生きるこの

「いのち」の目的なのです。

 

人にはゴールも完成も無い。

理想を目指すプロセスを体験する、あらゆることを経験することこそ

がこの「いのち」が存在する目的だったのです。

これは大宇宙が完成せずに、無限大に広がり続けることと同じなのです。

これがまさに私たち人間のこの「いのち」の実存なのです。

この「いのち」は「永遠にing」を生き続けるということなのです。

 

つまり、今の自分が前記の五つを「素直に目指せる」人であれば、

それこそがすでにゴールであり、答えであり、最高の人物である

ということなのです。

人間の悪い癖は、今の自分を変えたい、今の自分が嫌いだ、未知の理想の

心境にならねばならない、と思い込んで、結局自分はそうはならないと、

「結局そうなれないじゃないかぁ!!」と、あきらめて自己否定してしまう

ことです。

 

そうじゃないのです。

その答えは、苦しい状況の中でも、迷いの中でも、葛藤しながらでも、

前記のような心境を「目指してやるぞ」という、やる気の人であることが、

実に尊く、すでにゴールであり、最高・最善の人だったのです。

永遠に終わりが無いのですから、途中の状態を切り取って考えてはいけません。

とにかく不器用で、ドジな自分で有っても、何度でも目指せる自分であれば、

「それでいいのだぁ!」なのです。

 

このような話を最後まで自分の意志で素直に読めるということは、頷けると

いうことは、あなたはもうすでに完成しています。

仏教でいう「救われています」。この真実を深く認識し、自覚します。

大きな安心が生まれます。その上で、あとは、理想を目指す「ing体験(悟り)」を

楽しむだけなのです。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本人の道徳心

「壁を越える」

自分を高めていく過程では、常に何かの形で壁にぶつかるものである。

はたから見れば取るに足らない小さいことでも、

当人にとっては大きいことである。

そんなとき、なげやりになった後退したりしないで

進むためには、いくつかの方法がある。

私の場合、聖書の中の「最後まで耐え忍ぶ者は遂には救われるべし」

という言葉と、昔漢文で習った「志ある者は事竟(つい)になる」

という言葉を、あたかも念仏のように唱えることで心を静めた。

壁に突き当たったと感じるときは、散歩しながらでも、

寝る前でも、この言葉を繰り返し唱えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の諺 「暴飲暴食(ぼういんぼうしょく)」

【意味】

度をこえて、食べ過ぎたり飲みすぎたりすること。

「暴」は、程度がひどいこと。

「飲」はおもにお酒を飲むことをいう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2025 All Rights Reserved Powered by STINGER.