戦いの場において、
無数の敵に打ち勝つことよりも、
自分自身に打ち勝つ者こそが、
ほんとうの勝利者なのです。
【原始仏典「ダンマパダ」第八章=百三番】
この世には、いろいろな戦いの場があります。
本当の紛争地もあれば、会社内の戦いもあれば、
学校でのイジメ、家庭内での逃げる事のできない
相克・・。
外出先で長い列を並ぶこと一つにしましても、
心中では無言の戦いが生じているかも知れません。
しかし釈尊は、どんな戦いの場にも勝利者は「いない」。
自分に打ち勝つ者こそが真の勝利者である。とこの項で
仰っています。
考えてみますと七十億人もの人間がいる中で、お互いに
懸命に戦う縁というものは、海岸の砂漠で接する砂粒
同士のような稀有なことです。数えきれない無数の砂
がある中で、なぜ接することになったのか?これを冷静に
考えますと、こんな不思議なことはありません。
悪い縁ではありますが、お互いに戦いますと勝ったとこ
ろで他人を痛めた因果は残ります。自分が負けたとして
も、それを恨むようでは、やはり「いつかの時代に」
「どこかの国や地域や環境で」再び引き合う縁(引力・
重力)として継続して残ります。
要するに誰かがどこかの段階で、このようなヤラれれば
ヤリ返すという「悪因縁、悪循環」を思い切って切断し
なければなりません。そうでなければ永遠に地獄の循環
が待っています。この苦しみの連鎖は絶対に避けましょう。
人生とは、悪縁を残さないようなさばさばとした、清々
した生き方が本当の理想でしょう。ただ、普通、なかな
かそういう人生を歩めないのが凡夫のサガなのです。
ただ、釈尊の智慧を学びますと自分が相手を「許す」こ
とで、相手との悪い因縁が切れることが分かっていきます。
イエス・キリストが処刑される時に、自分の身体に鉄杭を
打ち付ける者たちに対しまして「神よ、この者たちは自分
が何をしているのかがわからないた゛けなのです。だから、
この者たちを許してあげて下さい」と言った言葉は、もう
二度とこのような罪を犯す加害者も被害者も輪廻転生で再開
させない秘儀であり、最高の因果に対する昇華の言葉だった
のです。
相手を許すことで自分の執着が切れ、自分のいのちがいつか
相手と逆の立場での縁を持つ機会を昇華させることになります。
●「悪因縁」「悪循環」を決して生まないために「相手を自分の
心中で許す」ことの大切さ。
●他人よりも、とにかく「自分自身の自我に打ち勝つ」重要さ。
この二点を知って意識して、頑張って実践するだけでも、悪い
因果を残すこともなく、今生も来生も大きく善の方向へ変わって
いくでしょう。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「勤と倹」
事業を始めること、すなわち創業の場合にも、
業が定まってから守ること、
すなわち守成の場合にも、
一番重要なのは勤勉であることと節倹であることである。
勤勉でなければそもそも仕事が始まらないのは
誰でもわかっている。
また、成功したら締まるところがなければ
長続きしないことも明らかである。
勤と倹、これが創業・守成のもとである。
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今日の諺 「風物詩(ふうぶつし)」
【意味】
その季節の感じをよく表す、物やことがら。
その季節の訪れを知らせるものとしてよく使われる。
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