少人数で多くの財宝を運ばなければいけない商売人は、
危険な道を行くことをあえて避けます。
長生きをしたいと思う人は、
生活の中で毒のあるものを意識的に避けます。
つまり人間は、色々な悪からは離れることを
常に素直に意識しておいたほうが良いのです。
(原始仏典 ダンマパダ9章-123番)
人間とは、ありきたりな日常生活に飽きて、
たまには刺激が欲しいと思ってしまうことがあります。
しかし、人間のサガ(性)とは、人間の社会とは・・・・、
そのほんの少しの刺激だけでは決して終わりません。
中には、結局は破滅に繋がることが往々にあります。
最初は、ほんの些細な切っ掛けであってもです。本当に、
「最初が肝心だった」ということなのです。
※人間のサガ(性)というものを、絶対に甘く見てはいけないの
です。テレビの報道番組で危険薬物の中毒患者だった人たちを、
農業を通して更生させるNP0法人の施設の代表者のインタビュ
ーを見ました。その代表者ご自身も、もとは危険薬物の常習者
です。
断薬に成功して十年間も経過した今でも、もしも今でも目の前に
薬物を出されると、自分の心が揺れるだろうとおっしゃっていま
した。危険薬物は一度でも体験すると、それほどに人生を破壊
してしまうのです。
とにかく人間のサガの恐ろしさを自覚して、普段からそういった
危険な縁を、「避けること」「関わらないこと」を意識しておく
こと。それだけ人間のサガは縁に触れれば一瞬に出てくるもの
だからです。
※次に、この世の大半の物事は、自分が事前に「想定」「創造」
特に「最悪の事態の想定」を事前にすることで危険を避けることが
可能だと仰っています。
つまり、自分に事前の想定あるかないか、それ以上に「最悪の想定」
をしてそれなりの準備をしておかなくては、突然何か起こっても全く
対応はできません。
仕事にしても、自分の人生においてもそういった最悪想定があるかな
いかで、人間や組織の運命は大きく変わっていくのです。
私事になりますが、21年前にお寺の本堂に落雷が落ち火災に見舞わ
れました。その年の秋、立て続けに大型台風の影響でお寺の庫裡
や藏が大被害を受けました。幸いに、事前の「最悪想定」で3年間
私自身が自勤で年間の法座・法要の講師を勤めた浄財を「建物更生
共済費」に当てていましたので、本堂・庫裡・藏を修復し、更に納
骨堂もご寄付で修復できました。その後は門信徒の方々が率先して
「護寺管理費」を集めて下さるようになりました。
その後、某企業(千葉)の代表を任されましたが、今から6年前に大
型15号(房総半島台風)が千葉全域を襲い、弊社の二工場や本部事務
所も大被害を受けました。しかし、お寺の教訓が生かされ「最悪想定」
で「建物更生共済」に入っていたため、被害個所を全て修復できました。
お寺や会社の工場等の被害も、「最悪の事態の想定」をした「建物共
済保険」に加入していなければ、小さなお寺や中小企業の自分たちの
力ではまったく復興は無理だったでしょう。この世の現実は「板子一
枚下は地獄」なのです。だから危機管理のためのあらゆる「想定」
「創造」が必要なのです。
釈尊から学ぶ智慧は、
* 最初の気の緩み、「なんとかなるさ」というお花畑の脇の甘さが大き
な現実的な不幸を呼ぶということ。
* 人間のサガ(性)、自分自身のサガ(性)を絶対に甘く考えては生けない。
* 何事にも事前の想定力・想像力・特に最悪の事態の想定と具体的な対処
計画や方法がとても大切だということ。
このようなことを知っているだけでも、人生は変わります。体験がとことん
続くと、尚更変わります。今日も、とにかくアタリマエなことに感謝が出来る
自分でいましょう。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「人生の醍醐味」
物事を簡単に諦めるという傾向は最近の人に見られがちである。
これはその人がこれまでに一つの事に真剣に取り組んだことが
あまりないために、自分のできることとできないことがわからず、
必要以上に臆病になっているにすぎないのではないか。
「できない理由」など探し始めたらきりがない。
そこをグッと抑えて、やるための意義を見つけていくことが
人生の醍醐味なのである。
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今日の諺 「一言半句(いちごんはんく)」
【意味】
ほんのちょっとした言葉。
ひとことという意味。
「一言」も「半句」も、
少しの言葉ということ。
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