それは正しい心のよりどころではありません。
あれも最高の心のよりどころでは無いのです。
つまり、人は心のよりどころを間違いますと、
永遠に悩みから解放されることは無いのです。
(原始仏典 ダンマパダ14章-189番)
「心の拠りどころを間違わないこと」
これが人生で再重要であり、自分の仕合せと今生の意味
を決めることになります。最善の心の寄りどころは、自
分自身に内在する良心(仏さま)です。
そして、転生輪廻を繰り返す中で縁のあった一切の有情
や自分の先祖(遺伝子DNAの集合体)を敬うことです。
これは絶対に間違いがございません。
自分が死ぬまで絶対に裏切ることはありませんし、
いつも一緒にいて下さる大いなる存在であり、自分と共
に同じ体験をした下さっている存在なのです。
自分の心の内在を真から拠りどころに、頼りにしていま
すと、この世では本当に強く生きることができますし、
大ピンチを大チャンスにひっくり返すことも出来ます。
何故ならば、環境や状況や人の目にまったく作用されな
くなっていくからです。
自分や会社やお寺が子ども園が、どんな状況になろうとも、
内在する大いなる存在の愛情に包まれている実感を持って
いれば、苦境や逆境でさえもワクワクするような勢いが
出てきます。
そして、一人になったら「どう考えても、普通じゃああり
得んよなあ~・・」と、笑ってしまいます。
でも、多くの人たちが自分に内在する大いなる存在を実感
していませんし、それを知りません。ザンネン!!
また、自分が相手を正しく愛せるためにも、心から愛情を
持つためにも、自分自身に内在する大いなる愛情の塊を自分
が頼りにしていかなければ、それは痴情の束縛にもなりかね
ません。
他を頼りにする愛ですと、それを失った時には激しい悲しみ
に襲われて自分を見失っていくこともあります。
とにかく、
自身に内在する存在を素直に信じる人は絶対に大丈夫です。
自分の中での最善の人生に導かれます。自分の外側により
どころを求めた人とは、大きな違いが後年ほど出てきます。
「み佛は 人のいのちの奥深く
来たり やどりて 今日もまた
南無阿弥陀仏と喚びたまう」
元龍谷大学学長 信楽 峻麿
本当の信心とは、自分自身の大いなる内在を素直に信じて
強く明るく内なるワクワクで安心して生きていけることなのです。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「志は高く」
こういう話を何かの本で読んだことがある。
十メートル先の雀を撃つのに、
木の枝にとまっているのを撃つのはやさしいが、
地面に止まっているのを撃つのは難しい、と。
志や目的もこれと同じで、
必ずしも高いところを望んだから難しいということはない。
会社でだって、課長になるのをそれから上になるのと、
難しさは同じです。
だったら、目的は高いところに置くべきだ。
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今日の諺 「孟母三遷(もうぼさんせん)」
【意味】
子どもの教育のためには、
よい環境を選ぶことが大切だということ。
または、教育熱心な母親のこと。
「孟母」とは孟子という昔の中国の思想家の母親、
「三遷」は三回引っ越しをすること。
【由来】
孟子はが子どものころ、
最初に住んでいた家の近くには墓場があり、
孟子が葬式のまねをして遊ぶので、
母親は市場の近くに引っ越した。
すると今度は、商人のまねをして遊ぶので、
学校の近くに引っ越した。
そうすると、孟子は礼儀作法の
まねをするようになったので、母親は、
この場所にずっと住むことにしたという、
中国の話から。
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