「心の安心感を目的として生きる」
心の寂しさという飢えは、コノ世の最大の病気です。
コノ世に生まれた我が肉体とは、最大の苦しみのカタマリ
でもあります。だから、以上のことわり(理)をそのまま
冷静に心から自分で思い知ったならば、「心の安心感」こそが、
人が求めるべき最高の目的の境地であることが分かることでしょう。
(原始仏典 ダンマパダ15章-203番)
心の寂しさほど、
人にとっての最大の苦しみは無いと釈尊は仰っています。
だから、
「心の安心感」を人生で何を行うにも初めから自分の目的とします。
働くのも、自分の「心の安心感」を持つために働きます。
結婚するのも、家族の「心の安心感」を持つことを目的として頑張ります。
交友関係も、自分の「心の安心感」のために相手を選択して行きます。
物や他人を周囲に置くことを成功や安らぎだと勘違いをせずに、
自分や、周囲の人々の「心の安心感」を主役として懸命に生きるのです。
その行く末は、人が求めるべき最高の境地に達すると釈尊は言われています。
自分の仕事や生活の中で「心の安心感」主役に置いて、生きていきましょう。
この「安心感」は「なんまんだぶつ」を称えることで内在する仏さまを
感じ出しますまで癖に成っていきます。
今日は母の命日です。なんまんだぶつ。
安心のカタマリだった母がわしに安心を与えてくれた影響は大きいです。
※安心(あんじん、あんしん)とは気掛かりな事が無く、心が落ち着き
安んじることである。本来は「あんじん」と読むが、江戸期より「あんしん」
と読むようになった。-Wikipedia
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「対話の効能②」
北宋の学者・程伊川の言葉に
「一夜君と共に語る、十年書を読むに勝る」
というものがある。
私は幸い、偶然と幸運によって
さまざまな分野の専門家と
シンポジウムや対談で巡り合う機会に恵まれた。
そうした経験でいえるのは、
該博な知識を持った、
優れた一人の専門家と対談すれば、
自分の背の丈以上の専門書を読むよりも、
はるかにすばらしい洞察やアイデアを得られるということだ。
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今日の諺 「不倶戴天(ふぐたいてん)」
【意味】
絶対に許せないほど、大変な恨みがあること。
同じ空の下では生きられないほどのにくしみがあること。
【由来】
昔の中国の書物に
「父の讐(あだ)は俱に天を戴(いただ)かず
(父のかたきとは、同じ天の下にいられない)」
とあることから。
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