「何かを我慢するからこそ 逆に楽しめるようになれる」
自制心の無い大食いを繰り返し、惰眠を貪り、
どんな場面でも眠そうで投げやりな態度で、
いつもボーッとして真剣さの無い人間は、
大きな家畜のように肥え太っていきます。
その結果は、繰り返し母体の腹に受精し、
迷いのままの人生を繰り返します。
(原始仏典 ダンマパダ23章-325番)
何と、自分にとっての嫌な事や、我慢したり、
節制することが、自分を真の意味で救ってくれる
恩寵(おんちょう:プレゼント)だったのです。
自分が避けたがる物事が、自分を悟りへと導く
ための守護だったのが霊的真相です。
その人の人生内に色々な「課題」を無駄なく与え
られていきます。時間限定の人生内で、それはそれは
キッチリとしたスケジュール管理をするように、色々
な嫌なことも配置されます。
それは、その人のいのちの成長のためだからです。
限定時間をムダにさせないように、ただ浪費させること
が無いように、気付き(色々な悟り)を起こさせることを
最優先させます。
残念ながら高位の次元ほど、コノ世で誰もが欲しがる
価値観とは、全く別の価値観なのです。
だから上記の釈尊の言葉のような、怠惰な人間に対する
高次元からの対応や、覚者が取る態度は、非常に厳しい言葉
として「心配するがゆえに」出されます。
怠惰な人間に対して、釈尊は「家畜」と呼び、空海さんは
「狂人」と表現されています。
それほど神仏の視点でも、せっかく生まれ出ても怠惰で投げ
やりな態度でいる人間は許せないのです。
徹底的に落とされます。これは愛情を持つがゆえの、怒りな
のです。
ダメでも、けなげに頑張る姿勢に、神仏は宿ります。
その結果では無くて、「生きる姿勢・ing」に神仏も悟りも
宿るのです。一生懸命にそれでも生きようとする姿勢は、
いつか人を「自分は知らぬ間に生まれた」という状態から解放
させます。生きていようが死んでいようが、自分の生きる姿勢
(志・こころざし)が今のその生活の中でも絶対安心の心境に
心を常駐させます。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「若さと蛮勇」
明治時代、最高の知恵者と言われ、
考え深さの点ではほかの維新の
元勲を圧していた伊藤博文も
三十歳ぐらいまではめちゃくちゃな男で、
暴れん坊、向こう見ずで通っていた。
それが三十歳を過ぎたころから、
物事の本質を見極めるまで
じっくり考えるタイプに変身し、
当時としては断然第一流の考え深い人間になった。
若さの特権とは、時として、
こうした最も危険な要素を無視して
決断を下すところにあるのではなかろうか。
若さと蛮勇がない人は、
一業を興す人にはなれないのである。
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今日の諺 「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」
【意味】
刑罰や権威、意志などがきびしくて威厳があること。
「秋霜」は秋の冷たい霜、
「烈日」は真夏の日差しで、どちらもとてもきびしいことから。
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