「悪人正機 良心が許せばどんな状態でも安心は来る」
コノ世の色々なハンディを抱えながら、
困難な道を渡り、繰り返す輪廻転生(死後)や
物事へ心配する気持ちを乗り越えて、
冷静に物事を静観し、激昂すること無く、
自分に怪しい行動が無く、何事にも執着せずに、
その上で安心している人。
そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。
(原始仏典 ダンマパダ26章-414)
この項を読みますと、二千五百年も前の人々も
前の人々もまさに、いろんなハンディを抱えながら、
険しい人生を歩き、生まれ変わりや死後の世界、霊や
見えないことを心配する・・・。このような生活を
送っていたのです。今の多くの人々とまったく変わ
りません。
そのもろもろの上でも、最終的には安心しながら生活
する人が最高の人だと、釈尊は示します。
何があろうとも、子どもがグレても、仕事がダメでも、
それでも自分を律し心から安心して生活をする人が、
この世の真の勝利者なのです。
自分ができる最高の努力を本当に尽くし切ったならば、
自分の良心が許せばどんな状態でも安心は来ます。
お金持ちでも、他人から幸せそうに見えましても、常に
心配しながら生活をする人が多いのです。
どんなダメな状態に自分が在りましても、すべてがこの世
だけでの状態なのです。無常、必ず過ぎて終わっていきます。
チベットの死者の書を読みましても、あの世で自分が死後の
状態を体験しますと、顧慮での苦しく、嫌な物事、理不尽、
災難・・・、そのすべてが意味と価値があったことを誰もが
理解します。
*まだまだ自分は頑張るべきだったのだ。
*あの時に素直に謝っておくべきだった。
*もっと感謝をしておけばよかった。
と、誰もが思うようです。
何とも言えない「申し訳なさ」に、泣く人が大半です。
自ら地獄に堕ちていく人は、まだまだ素直には泣けない
人なのです。心が素直に泣け、申し訳なかったと慚愧した
時が、天から許される時なのです。
人は無理やりに安心しようとしてもダメなのです。やはり、
自分の良心に背く点がありますと、安心することは不可能
なのです。
逆に言えば、どんなダメな状態に自分が在りましても、
し゛分の良心に対して一切の曇りが無い人は、心が安心します。
残りの人生を、本当の自分自身と(良心・仏性)と向き合って
生きましょう。この世にいる時にいる時に、本当の自分自身
と向き合い続けていた人は、この世でどんな状態であったとしても
安心して必ずお浄土に還っていかれることでしょう。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「生活心得②」
おいしいものを食べるのはいいし、
快適な着物を着るのもいいと思いますが、
これもやはり程度の問題で、
あまりそれを言うのは卑しいという発想は
必要だと思います。
また、グルメはいい、ワイン通もいい。
しかし、グルメぶったり、
ワイン通ぶったりすることは
卑しいことだという発想を、
どこかに持ったほうがいいのではないかと思います。
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