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10/23(木)「みんな竹の子です」

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子供や伴侶という家族に対する執着とは、

まるで、根っ子が1つで繋がっており、

上方でも枝同士が近接して絡みあう竹林のようなものです。

でも原点は、誰もが竹の子のように

枝葉を持たない独立した存在であるのが人の正体です。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.38)

 

 

釈尊が、「君は竹の子なんだよ」と仰っています。

確かに人の一生を考えますと、

 

* 竹の子のように、先祖という根っ子の上に、

枝葉の無いツルンとした赤子で生まれ、

* 段々と枝を伸ばし、隣接する家族という枝と絡み合い、

* 子供は成長すれば離れ、

伴侶とも死別・離婚もするかも知れません。

* 竹は年月を経て上空に伸びるほど

他の枝との絡み合いは去り、

老いた竹は孤高の存在となり、

* いずれは枯れて、枝葉を無くし、

竹の子に戻ると言えるのかも知れません。

 

釈尊は、家族という

枝葉を持つなとは言っていません。

* 自分の本性は、枝も何も無いツルンとした

竹の子だったことを忘れるな!

と仰っているわけです。

 

これを忘れなければ、何が変わるのでしょうか?

* 家族への「怒り方」が変わるのです。

これは、かなり大切なことです。

家族の人生に影響するかも知れません。

 

人は竹の子のように、表面(自我)の黒い皮をむけば、

美味しく素直な白い中身が現れます。

でも黒い皮は、風雨や寒暖から中身を守ってくれます。

* 黒い皮=自我(ワレヨシな欲望)

* 風雨や寒暖=社会での試練。危険。

 

だから生きる限りは、

自我を完全に取り去る必要もありません。

ただ、内に純粋な白い中身を持つ自分を忘れずに、

意識して守ることが大切です。

* 白い中身=仏性

とも言えそうです。

 

要するに、この項で言いたかったことは、

* みんな竹の子だー。

なのです。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

 

【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載

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