
「自分の体裁の為に無理な交友はしない」
いつも仲間と一緒にいるならば、
修行中も、休んでいる時も、
仕事場に行く道中も、遊びに行く時も、
常に仲間と話さなければいけません。
それよりも他人を気にしないで済む中で、
自分の心の完全なる自由を求めて考えたほうが有意義です。
どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、
自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.40)
人は仲間の中に居て、自分がしゃべっていることで、
* 他人から見える自分の体裁が良い。間が持つ。
* 集団の中に馴染んでいる「自分に」安心する。
つまり、
* 自分の外見を意識した自我(ワレヨシの思い)
のために、人は仲間というものを求める側面がある
ことを知って置きましょう。
釈尊は、友人を持つなとは仰っていません。
友人たちの中に自分が居ても、
* 人が持つべき大切な本質・目的である、自分の心
の完全なる自由というものを見詰めることが大切
なのです。
ということを、この項は示唆しています。
他人の視線や態度を気にするために、
*自分が無理をする。
*無理に家族よりも交友を大切にする。
*無理をして相手に気を使ってしまう。
これは、後で自分自身が後悔してしまうことになります。
結局、そんなことを自分がするのも、他人からの視線を
気にする自分の自我のためにした、ということなのです。
釈尊は、そういうパターンの繰り返しをすめことよりも、
「自分の心の自由を見詰めて求めなさい。素の自分で
相手と対峙しなさい。」
としています。
また「自分には友人がいないと心配しなくてもいい」
とも言えます。それは貴方の内なる仏があなたのことを
誰よりも一番理解しリスペクトしているからです。
今日も、自分がどんな中に居ましても、自分の心の自由
(仏さま)とは何か?を見詰めて過ごし、心中で人の目を
歯にする自我ではなく、これ(仏さま)を優先していきましょう。
そうすれば自分の体裁の為に無理な交友もしなくなります。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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