
「一人裸で生まれ、何も持たずに裸で一人死んで行く」
自分が求めるどんなものも
(家族、子供、仕事、財産、家、健康、・・・・)、
自分自身を脅かす災難があり、
渇望があり、病魔であり、悪性の腫瘍であり、
最悪でもあり、後から効く毒矢であり、
恐怖の対象なのです。
このように自分の欲望の対象には、
常に恐怖するべきことが付き物であることを覚悟しなさい。
だからこそ、どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、
自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.51)
私たちは日々、幸福を願い、平穏な生活を望みます。
しかし、どんなに気をつけていても、戦争や災害、病気
など、自分の力では避けられない「最悪」がやってくる
ことがあります。
真宗では、私たちがいくら努力しても、すべてを自分の力
で守ることはできないと教えます。
それを否定するのではなく、まずその現実をありのままに
受け入れることが釈尊の言われる智慧なのです。
そこで、釈尊の教えを引きながら、私たちはこう学びます。
「人は生まれたならば、サイのように一人で突き進む
覚悟でいなさい。」
生まれたとき、私たちは何も持たず、裸でこの世に来ます。
そして最後には、また何も持たずに一人でこの世を去って
いきます。
この「生まれも死も一人」という真理を見据えることが、
迷いや悩みを減らす道です。
サイのように生きるとは、私に内在する仏さまと共に、
力強く、しかし静かに、誰にも心が負けずに前のめりで進む
覚悟を持つことなのです。
私一人の力ではない。私には計り知れない大きなお慈悲の仏
さまと共に、人生の波風に押し流されるのではなく、必死で
自分の道を踏みしめて歩む。
その先に、私たちの心は涅槃、浄土の安らぎに至るのです。
ですから、悩む必要はありません。迷う必要もありません。
行け、行け、サイのように!!
今日も皆さまが、自分の道を力強く、しかし静かに歩み、
安らぎに至られますように。心より念じております。
【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一参考文献
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