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11/4(火)「どの時代にも貫徹する最高の気持ちは感謝」

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「どの時代にも貫徹する最高の気持ちは感謝」

寒さや暑さにさらされること。

飢餓感や喉の渇きに責められること。

強風に吹かれ、日光に照りつけられること。

蚊に血を吸われ、蛇に体の上をはわれること。

これらすべてに耐えて克服しなさい。

そして、どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.52)

 

私たちは日々、さまざまな苦しみの中に生きております。


釈尊の時代には、人々は寒さや暑さ、飢えや渇き、そして自然の

猛威により、命を落とすことがありました。

それから二千五百年の時が流れ、私たちは多くのものを克服し、

快適な生活を得たように見えます。

けれども、釈尊が説かれた「苦」の本質は、

時代が変わっても変わりません。

現代の寒さや暑さは、家庭や職場における心の冷たさや熱さ。

飢えや渇きは、満たされない思いや孤独。

強風や日光は、他人の批判や無理解。

そして、蚊や蛇の害は、他人から受ける心の痛み。

このように考えますと、釈尊の時代の「自然の苦」は、

今の私たちにとっての「人間関係や精神の苦」に置き換わって

いるのです。

では、さらに未来、二千五百年後の人類はどうなっているで

しょうか。

医学も技術も進み、病や死を克服しているかもしれません。

しかしその時代にも、やはり「死」をもたらすものはあるで

しょう。

それは、おそらく他人を思いやることを失った心。

誰かのために生きることを忘れた心。

感謝をなくした心。

そうした「心の飢え」こそが、人を滅ぼす時代になるのではな

いかと、私は感じます。

けれども、真宗ではこう説きます。


「他人のために生きよ」ではなく、

「なかなか他人のために生きられない私が、すでに仏さまに救われている」。

自分の思いや力ではなく、どんな私でも見捨てず、抱きとってくださる仏さまの

大いなる慈悲のはたらきに、私たちは生かされているのです。

だからこそ、私たちは自然と感謝の心をいただき、

他の人を思いやる心が、静かに芽生えてまいります。

未来がどのように変わろうとも、


感謝の心と他を思う心は、変わらぬ仏の教えの光なのです。


どんな時代にも、仏さまの慈悲は満ちており、

私たちはその生命の源である光の中に生かされているのです。

どうぞ皆さん、今日も多くの方に、

周りの人たちや、先祖や仏さまに「ありがとう」の感謝の気持を

抱いていきましょう。

感謝の心とともに、仏と共に歩む人生が一番素敵で素晴らしいと

感じています。


今日も、より良く生きる智慧をいただけたことに感謝いたします。

皆さまの上に、仏さまの大悲の光が常に届きますように

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