思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

11/20(木)「一分でも一秒でも穏やかに」

投稿日:

 

「一分でも一秒でも穏やかに」

人間を構成する五つの要素である

五蘊(ごうん)が起こす執着を断ち切りなさい。

五蘊とは、自分自身が生きている

(心身の活動をしている)だけで湧き起こる感覚であり、

これに愛着や執着を持ち過ぎますと、

苦しみが次から次へと心に湧き上がって来ます。

五蘊とは以下の五つを指します。

 

・ 色(しき)=「身体」機能が活発であるために

湧き起こる攻撃性や性的反応などの苦しみ。

・ 受(しゅ)=物事からの刺激を受ける「心」の反応。

悪口などを受けても、なんでも被害妄想的な

過大に受け取る癖。

・ 想(そう)=見たものについて何事かを

イメージする「心」の機能。

自分が見た現実以上の過大な妄想を見ること。

・ 行(ぎょう)=イメージしたものについて、

自分の意志判断を下す「心」の機能。

・ 識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、

内的作用(意志判断)を総合して

状況判断を下す「心」の機能。

 

この五蘊が引き起こす愛着や憎悪を断ち切り、

心の安定への障害を放棄(手放すこと)しなさい。

そして、いかなることにも

公平性・中道(ほどほど)から離れては生けない。

 

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

 

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.66)

 

私たちは、日々の生活の中で

仕事、人間関係、情報過多の社会。

さまざまな「刺激」に心を揺さぶられながら生きています。

しかし、これは今に始まったことではありません。

2500年前の釈尊は、

すでに“人が心を病む原因”を示していたのです。

人間は、自分の五感と心(五蘊=色・受・想・行・識)が

ストレスの中で暴走し始めると、

苦しみが次々と湧き上がってきます。

そして釈尊は断言します。

「苦しみのすべては、他人だけが原因ではない」

私たちの心の奥深くにある癖、サガが

苦しみを増幅させてしまうのです。

他人と自分を比べると、

心は簡単に不安定になってしまいます。

  • あの人より能力が低いのでは

  • 自分はお金がない

  • 見た目が劣っている

  • 学歴が足りない

  • 家庭の事情が恥ずかしい

これらは、心に潜む“コンプレックス”が作り出す幻です。

この幻が、他人からの刺激を過大に受け取らせ、

苦しみを濃くしてしまいます。

大切なのは、

「ああ、いま自分は比較しているな」

と冷静に気づくこと。


釈尊はこう語ります。

「五蘊が生む愛着や憎悪を手放しなさい。」

しかし突然「断ち切りなさい」と言われても難しい。

だからこそ、釈尊の言葉は優しいのです。

嫌な感情が湧いたら、

「もう分かったよ」

「そんなに私を苦しめなくていいよ」

と、そっと手を緩めてあげる。

拒絶でも、否定でもない。

ただ“手放す”。

これが一番やさしく、そして一番強い方法です。

その“認識”こそが、

あなたを再び中道へ戻してくれます。


良いことでも、悪いことでも、

過剰になった途端に心は苦しみ出します。

  • 喜びすぎれば不安が生まれ

  • 憎みすぎれば怒りが増え

  • 比べすぎれば自己嫌悪になる

だからこそ釈尊は、

「ほどほど」=中道

を忘れるなと教えました。

中道とは、心の平衡点。

嵐の中にあっても揺れすぎない場所。

そこでこそ、私たちは本来の自分を取り戻せます。

苦しみを生むのは、世界ではなく“心の反応”。

心の反応を軽くするのは、

戦うことではなく

手放すことです。

賢くなるのではなく、アホウになる事です。

どうか今日も、

心を少し軽くして、

静かに、一分でも一秒でも穏やかに

お過ごしください。

 

参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2025 All Rights Reserved Powered by STINGER.