
「過去に住めば苦しみは続き、 今に住めば成長が始まる」
過去の喜怒哀楽は、もう遠くに置き去りにしなさい。
それよりも今の生活の中で、
心が平静で冷静な極みの中に安住して
静止している禅定(ぜんじょう)を身に付けていることが
最大事なのです。
どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、
自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.67)
仏教でいう「禅定」とは、
心が揺れず、静かに安定している状態のことです。
毎日、人間関係や仕事や家庭の中で揺さぶられる私たちは、
自分の心がいとも簡単に乱れてしまいます。
でも、もしあなたの心が、
・目の前の言葉に振り回されず
・過去の後悔に絡み取られず
・他人の機嫌に引きずられず
ただ静かに落ち着いた場所に、
そっと座っていられるようになったなら。
その境地を仏教では「三昧(サマーディ)」と言います。
これは特別な才能ではなく、
“心の筋力=定力(じょうりき)”を少しずつ鍛えることで、
誰にでも育つ力だと、禅宗の方に教えられたことがあります。
◆ 禅定の第一歩は、とてもシンプルです。
・過去の喜怒哀楽を手放す
・もう済んだことは、心の外へ置く
「そんな簡単に手放せない」と思うかもしれませんが、
仏教が教えるのは、
“完璧に手放すこと”より、
“手放す方向へ心を向けること”のほうが大事
ということです。
心は、“どこに住むか”を自分で選ぶ生き物だからです。
過去に住めば、苦しみは続き、
今に住めば、成長が始まる。
ただ、それだけなのです。
◆ 道元禅師の智慧が現代に合う理由
道元さんの禅は、
「ただ座って悟る」ためのものではありません。
・働きながら
・動きながら
・日常の中で
静かに心を整える実践を大切にしています。
つまり禅定とは、
・通勤中のイライラを一つ呼吸で流す
・同僚の一言に反応しそうな自分を見つめる
・家族の機嫌に巻き込まれそうな瞬間に心を一歩下げる
そんな“小さな場面”で育っていく力なのです。
座禅だけが禅ではない。
生き方そのものが禅の道場になる。
これこそが道元禅師の智慧であり、
現代を生きる私たちに最も必要な視点なのだと思います。
◆ そして最後に禅と念仏は、本当はひとつの世界
禅は “外なる心を整える道” と言われます。
一方、念仏は “内なるいのちを阿弥陀仏にゆだねる道” と
教えられます。
外で整えようとする禅。
内でゆだねていく念仏。
方法は違うように見えても、
その奥に流れる“心の安らぎ”は、実は同じところを指し
ています。
外の揺れを鎮めるのが禅の世界。
内の計らいを捨て、大いなるいのちに身を任せるのが念仏の世界。
外から静まっていく禅と、
内から静まっていく念仏は、
本当はひとつに重なる世界なのです。
だからこそ、
「あ、また計らっているなあ・・」
と気づけたその一瞬は、
禅の入り口であり、
同時に、
阿弥陀仏に心が向いた尊い瞬間でもあります。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一
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