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11/21(金)「過去に住めば苦しみは続き、 今に住めば成長が始まる」

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「過去に住めば苦しみは続き、 今に住めば成長が始まる」

過去の喜怒哀楽は、もう遠くに置き去りにしなさい。

それよりも今の生活の中で、

心が平静で冷静な極みの中に安住して

静止している禅定(ぜんじょう)を身に付けていることが

最大事なのです。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.67)

仏教でいう「禅定」とは、

心が揺れず、静かに安定している状態のことです。

毎日、人間関係や仕事や家庭の中で揺さぶられる私たちは、

自分の心がいとも簡単に乱れてしまいます。

でも、もしあなたの心が、

・目の前の言葉に振り回されず

・過去の後悔に絡み取られず

・他人の機嫌に引きずられず

ただ静かに落ち着いた場所に、

そっと座っていられるようになったなら。

その境地を仏教では「三昧(サマーディ)」と言います。

これは特別な才能ではなく、

“心の筋力=定力(じょうりき)”を少しずつ鍛えることで、

誰にでも育つ力だと、禅宗の方に教えられたことがあります。

◆ 禅定の第一歩は、とてもシンプルです。

・過去の喜怒哀楽を手放す

・もう済んだことは、心の外へ置く

「そんな簡単に手放せない」と思うかもしれませんが、

仏教が教えるのは、

“完璧に手放すこと”より、

“手放す方向へ心を向けること”のほうが大事

ということです。

心は、“どこに住むか”を自分で選ぶ生き物だからです。

過去に住めば、苦しみは続き、

今に住めば、成長が始まる。

ただ、それだけなのです。

◆ 道元禅師の智慧が現代に合う理由

道元さんの禅は、

「ただ座って悟る」ためのものではありません。

・働きながら

・動きながら

・日常の中で

静かに心を整える実践を大切にしています。

つまり禅定とは、

・通勤中のイライラを一つ呼吸で流す

・同僚の一言に反応しそうな自分を見つめる

・家族の機嫌に巻き込まれそうな瞬間に心を一歩下げる

そんな“小さな場面”で育っていく力なのです。

座禅だけが禅ではない。

生き方そのものが禅の道場になる。

これこそが道元禅師の智慧であり、

現代を生きる私たちに最も必要な視点なのだと思います。

◆ そして最後に禅と念仏は、本当はひとつの世界

禅は “外なる心を整える道” と言われます。

一方、念仏は “内なるいのちを阿弥陀仏にゆだねる道” と

教えられます。

外で整えようとする禅。

内でゆだねていく念仏。

方法は違うように見えても、

その奥に流れる“心の安らぎ”は、実は同じところを指し

ています。

外の揺れを鎮めるのが禅の世界。

内の計らいを捨て、大いなるいのちに身を任せるのが念仏の世界。

外から静まっていく禅と、

内から静まっていく念仏は、

本当はひとつに重なる世界なのです。

だからこそ、

「あ、また計らっているなあ・・」

と気づけたその一瞬は、

禅の入り口であり、

同時に、

阿弥陀仏に心が向いた尊い瞬間でもあります。

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一

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