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11/24(月)「仏さまの物差しで生きよう」

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「仏さまの物差しで生きよう」

心の奥の深層の欲望が滅した後のような

静寂を求めて、真剣に求道すること。

家畜のような怠惰な生活を止めること。

よく真理を読む(当時は聞くしか無かった)

生活を心掛けること。

常に、あるがままの今を

正視することを意識すること。

コノ世のあらゆることをよく見聞きし、

よく理解し、自分の中に確固たる信じるものを得て、

勇敢に自分の信じる道を行くこと。

以上のようにして、

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.70)


欲望が満たされた直後に、

ふっと心が静かになる瞬間があります。

あの一瞬の“静けさ”は、

実は求道の中で日常的に味わえるものです。

「涅槃」という字を見れば、

どこか “快い” という感覚を連想するかもしれません。

しかし、

仏さまのいう快楽とは、身体の刺激ではなく、

心が自由になったとき自然にあふれてくる、

深い安心感・よろこび のことです。

刹那の快楽はすぐ消えてしまいますが、

心の学びは、

その何倍も長く続く「満ち足りた感覚」 を与えます。


そして、私たちは気づけば

「食べて、寝て、働いて…をただ繰り返す家畜のような毎日」

になってしまうことがあります。

心は死にませんが、

からだは時間に限りがあります。

だからこそ、

「限られた時間だから、大切に使おう」

という思いが、人生を前向きにしてくれます。


「本当に正しいことは何か?」「真実とは何か?」

そんな問いを持ち続ける心は、老いません。

好奇心こそ若さの源。

それがそのまま “求道” のはじまりです。


そして、

悟りの入口はとてもシンプルです。

過ぎた過去にも、まだ来ない未来にも住まないこと。

「いま、ここ」に心を置くこと。

浄土真宗の言葉でいえば、

“今の私のまま、大悲心の阿弥陀さまに抱かれている”

と気づいて今を懸命に生きることです。


ただし、

悟りを求めるからといって

世間を避ける必要はありません。

ニュースも現実も、人との関わりも

全部この“いのちの舞台”。

「見てやろう、聞いてやろう」という

開かれた姿勢の上で、

自分の中に一本の軸=信じる道 を持つことが大切です。

ただの「修行バカ」でも「信仰だけの人」でもなく、

現実に立ちながら、仏のまなざしで世界を見て今を生きる。

損か得かではなく、嘘か誠か、計らいか自然か、

結果主義かプロセス主義か、表面的か本質的か、

仏の眼差しは常に自分を真実へと導いてくれています。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一

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