
【今日の気づきの法話】
原始仏典を読む中で、私が強く感じたことを書きます。
原典の解説ではなく、日々の生活の中で感じた私的な
「気づきのメモ」です。
*「内側の静けさは誰の目にも隠せない」*
彼は学者でも僧侶でもありません。
ただの職人でした。
けれど、その職人は “あること”を一瞬で見抜きました。
それは、
「本物と偽物の空気は、誰にでも分かる 」ということです。
人は知識では“悟り”を判断できません。
けれど、
・欲がある空気
・無理している空気
・言葉より心が軽いか、重いか
こうした 内側の質 は、不思議と誰の目にも隠れません。
職人はその人物を見た瞬間、こう感じました。
「この人には、誇張も見せかけも無い。
静かで、澄んでいて、欲が消えている。」
姿ではなく、
肩書きでもなく、
その人の “にじみ出る静けさ” を見たのです。
本物の人に共通する特徴があります。
・名誉を求めていない
・目立とうとしない
・静けさが自然と周りに広がる
・無理に語らなくても、周囲が安心する
古くから伝わる言葉でも言われています。
「偽物ほど目立とうとし、本物ほど静かにしている。」
職人が“本物”を見抜いた理由は、たったひとつ。
「内側の静けさは、隠すことができない」
という事実です。
それは職業でも、学歴でも、人の評価でもなく、
心の清らかさが、清らかさを見抜く という単純な原理。
だからこそ、
人は肩書きよりその人から“にじみ出るもの”を信じます。
そして、私たちが生きる今の時代でも同じです。
SNSの言葉より、説得よりも、
流行やテクニックよりも、
最終的には「その人の静けさと誠実さ」が一番伝わる。
本物であろうと計らう必要はありません。
ただ、余計なものを削り、静かに生きるだけで、
私たちの内側は自然と澄んでいきます。
その静けさこそ、
誰の心にも“ほんものの響き”として届くのです。