
【今日の気づきの法話】
原始仏典を読む中で、私が強く感じたことを書きます。
原典の解説ではなく、日々の生活の中で感じた私的な
「気づきのメモ」です。
「未来は決まっている」「あるがままに生きなさい」という甘い教え
今も昔も、こうした言葉に人は弱いものです。
努力しなくても救われる、問題を見ないで済む、自分を正さなくていい
そんな“都合の良い甘さ”が入っているからです。
釈尊は、こういった教えを説く“先生”をはっきりと戒めています。
2500年前も、今とまったく同じように、
自由・真理・解放 の言葉を使って、
人の心とお金を食い物にする者がたくさんいました。
釈尊は彼らから何度も命を狙われながらも、
ただ一つの真理を語り続けました。
■ 釈尊が示した“唯一の道”
釈尊が断言しているのは、非常にシンプルです。
●「運命は変わる」
● 「変える力は“自分の行い”にしかない」**
いくら甘い言葉を浴びても、
自分の心・言葉・行為が変わらなければ、人生はまったく変わりません。
だからこそ釈尊は、誰かに依存するのではなく
「自分の努力と、自己節制の力を信じなさい」
と説きました。
釈尊自身、超人的な努力家でした。
悟りは、棚から落ちてきた果実ではありません。
“毎日のコツコツとした行いの積み重ね”の結果です。
■ 「悪魔」とは何か:怖い存在ではない
釈尊の教えでは、悪魔とは“恐怖の存在”ではなく、
人を浄化するために現れる“バクテリアのような力” と解釈できます。
同じ波長のところに現れ、
心の濁りを浮かび上がらせ、
人の行いや思い込みを正すために働く存在です。
だから、悪い縁に出会ったときの正しい理解は、
「逃げること」ではありません。
✔ 自分を変えるチャンスが来ただけ
人はこれを“外の敵”と思いますが、真実は逆で
内側の成長不足が呼んでいるだけなのです。
■ 本当の解決法は「自分を正すこと」だけ
嫌な出来事は、人生からの“修正の合図”。
外の問題ではなく、自分の姿勢を整えれば必ず消えていきます。
釈尊はそれを、どんな知識よりも強く教えました。
一行にまとめると、こうなります。
「未来は変えられる。
その鍵は“他人の言葉”ではなく、今日のあなたの行いにある。」
逃げる必要はありません。
誰かに従う必要もありません。
決意して行動する。
“自分を磨く”という最も確かな道が、静かに未来を変えていきます。
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「心の荒さは“下半身”に影響する」
① 心の荒さは“下半身”に影響する
怒り
短気
不満
攻撃性
恫喝癖
これらはすべて 身体の下部に負荷をかける波動 です。
特に脚・腰は
「人としての土台」「周囲への態度」「人生姿勢」
を象徴しています。
人が怒りを爆発させる時、
脚に“力が抜けるような現象”が必ず出ます。
よくあるのは、
介護を受ける高齢者の中でも
素直にサポートしてくれる方がたや
ヘルパーさんの言う事を素直に受け入れない
人たちの多くは確実に足腰の老化が際立って
来るそうです。
これは偶然ではなく、
粗い波動が脚のエネルギーを奪っている
こういう構造なのです。
② “人に優しくする”は脚力の回復そのもの
反対に、
・ありがとう
・ごめんなさい
・お願いします
・どうぞ
・相手を尊重する
・柔らかく接する
これらは脚に エネルギーを戻す行為 です。
つまり、
ジェントルマン=足腰の安定そのもの
という因果式が成立します。
人は優しくなるたびに身体の土台が整い、
その日は 歩く姿が明らかに違ってくるのです。
③ “脚の弱り”は天からのメッセージ
なぜ身体の土台の脚に出るのか?
それはその人への 最終ラインの警告 です。
・態度を変えなさい
・言葉を柔らかくしなさい
・相手を守る人になりなさい
これを実践しないと
“ますます脚から崩れる”構造になっています。
逆に言うと、脚が弱るほど
「今、変わればまだ間に合う」
こういう慈悲のサインでもあります。
「ジェントルマンにならないと脚が弱る」
これは比喩ではありません。
現実の身体に出る“心の姿勢”そのものなのです。
人の良心は、
その人が優しくなる方向に身体のと自由を通して
導こうとしています。