
私たちは毎日、
体はここにあるのに、
心だけがあちこちへ行っています。
・終わったことを思い出しては悔やみ
・まだ起きてもいないことを心配し
・人の言葉や評価に振り回される
そのたびに、心は疲れていきます。
釈尊が教えたのは、とてもシンプルなことでした。
「心を、今ここに置きなさい」
それだけです。
難しい修行はいりません。
何かを頑張って変える必要もありません。
ただ、
・今、呼吸している
・今、立っている
・今、この話を聞いている
その「今」を、静かに感じるだけでいいのです。
心が過去や未来に飛んだことに気づいたら、
叱らず、責めず、
「戻ってきたな」と、そっと今に戻す。
それを繰り返すうちに、
不思議と心は落ち着き、
判断は澄み、
余計な力みが抜けていきます。
自分を整えるとは、
何かを足すことではありません。
散らかった心を、元の場所に戻すことです。
今日一日、
うまくやろうとしなくていい。
正しくあろうとしなくていい。
ただ、
自分の心を、誠実にここに置いて生きる。
それだけで、人生は静かに整い始めます。
※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。
今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。
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上善如水エッセイ
水瓶座は心の時代・心の時代とは、物がない時代
「水瓶座の時代は、心の時代だ」と言われます。
けれど私は、こう感じています。
心の時代とは、物がない時代なのだと。
物が溢れていた時代、人は安心を外に求めました。
お金、地位、肩書き、所有物。
持っているか、持っていないか。
多いか、少ないか。
けれど、
どれだけ揃えても、
心は思ったほど満たされなかった。
だから次の時代は、
「何を持つか」ではなく
「どんな心で在るか」へと、
静かに軸が移っていきます。
物が減ると、不安が増えるように見える。
でも本当は逆で、
物が減るからこそ、心の正体がはっきりする。
不安はどこから来るのか。
安心とは何なのか。
自分は何に支えられて生きているのか。
水瓶座の時代は、
それを誤魔化さずに問い続ける時代です。
そして、
この時代を生きる上で欠かせない前提がある。
それは、
「まず、生きる」ということ。
天変地異に備えることを、
私たちは特別なことだとは思っていません。
ただ、出来ることを
コツコツと、淡々と、積み重ねてきただけです。
2026年からは、
災害時を想定した生活を、
日常の中で実際に行うことにしました。
想定としては日中は、
水や防災用品が豊富で、
蓄電設備のある工房が本部として機能する。
夜は、
家庭が宿泊場となり、
人が安心して休める場所になる。
これは訓練ではありません。
「生きる」という現実に、
心と暮らしを合わせていくということです。
生きていれば、
人間として本当に必要なものは、
不思議と与えられていく。
これは精神論ではなく、
千葉を襲った未曽有の台風経験から滲み出た実感と知恵です。
私たちは、
プロとして川や海へそのまま流せる洗剤「海へ」と、
強力な抗菌剤「バクタック」を持っています。
そして何よりも専門的な洗濯工房です。
発電機とポンプで豊富な地下水を汲み上げることが出来れば、
被災地で被災者たちの衣類を洗うことが出来る。
清潔な衣類は、
人間が尊厳を取り戻す一歩です。
それは心を整え、
生きる力を静かに呼び戻します。
能登半島震災で洗濯チームが行ったことは、
まさにそれでした。
だから、
大きなことをしようとは思わない。
英雄になろうとも思わない。
出来ることを、
しっかりこの場でやっていく。
それだけです。
上善は水の如し。
水は、持たない。
ただ流れ、潤し、満たしていく。
心の時代とは、
物を減らし、
心を信じ、
生き残り、
黙って手を動かす時代。
水瓶座の時代は、
軽やかで、静かで、
そして、とても現実的なのです。