感情は道しるべ
私たちは小さい頃から、
こう教えられてきました。
怒ってはいけない。
泣いてはいけない。
調子に乗ってはいけない。
我慢しなさい。
いつの間にか、
感情は「問題児」扱いされるようになります。
けれど、仏の教えは感情を消せとは言いません。
その感情を通して「気づけ」「目覚めなさい」と言います。
●喜 (うれしさに問う)
うれしい。
楽しい。
満たされた。
幸せ。
この感情は、とても美しい。
しかし、ここで一つ問いがあります。
その喜びは、
誰かを置き去りにしていないか。
誰かの犠牲の上に立っていないか。
あなただけの喜びによって見失って
いるものがあるんじゃないのか?
良心は、
喜びに水を差すためにあるのではありません。
喜びを、濁らせないためにあります。
喜びに気づき、
そこに深い感謝とお陰さまに深く気づかされたとき、
その喜びは長く、深くその人の心の奥底に残ります。
●怒 (怒りに耳を澄ます)
怒りは、突然やってきます。
理不尽、無理解、軽視、侮辱、偏見、差別、軽蔑、意地悪。
多くの人は、
怒りを抑えるか、ぶつけるか、
その二択しか知りません。
でも、第三の道があります。
怒りを観る。
怒りは叫んでいます。
「大切にしてほしかった」
「これだけは守りたかった」
「そこは越えてほしくなかった」
良心は、あなたの怒りを決して否定しません。
ただ、こう問いかけます。
「その怒りで、守りたいものは何だったのか」
この問いに立てたとき、怒りは破壊や破滅ではなく、
自他の境界線を教える智慧になります。
●哀 (悲しみと共に座る)
悲しみは、
失ったものの大きさを教えてくれます。
人、家族、時間、夢、信頼、希望、期待、愛情、理想、
本気で生きたから、本気で関わったから、悲しい。
悲しみを避けると、心は浅くなります。
良心は、
「早く立ち直れ」とは言いません。
「その悲しみは、何を愛していた?」
大きな悲しみを抱えられる人は、他人の痛みや悲しみにも
自然と手を伸ばせるようになります。
●楽 (楽しさを問い直す)
楽しい。
気持ちいい。
ラクだ。
ワクワク、フォー。
楽は、命を休ませます。
しかし、楽に溺れると、良心は眠ります。
良心は、楽しさを奪いません。
しかし、こう尋ねます。
「この楽しさは、
明日の自分を苦しめないか?」
この問いがある限り、楽しさは逃避ではなく、
回復の時間になります。
●感情と良心の関係
感情は、心の天気です。
晴れも、雨も、嵐もある。
良心は、天気を変える存在ではありません。
傘を差すか、待つか、進むかを選ばせる存在です。
感情に従うだけでは、流されて方向を見失う。
感情を押さえつけると、苦くなって鈍くなっていく。
その間に立つのが、良心です。
●感情があるから、目覚められる
喜怒哀楽があるから、人は迷います。
しかし同時に、喜怒哀楽があるから、
人は気づけます。目覚めていきます。
良心とは、
正しさの裁判官の声ではありません。
感情のただ中で、
「それでもどう生きる?」と問い続ける静かな灯りです。
今日、
怒ったなら、それでいい。
泣いたなら、それでいい。
笑ったなら、それでいい。
ただ一つ、
その感情を
無かったことにしないでください。
そこに、
あなたの気づきと目覚めの入口があります。
合掌。
※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。
今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。
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