
良心と道徳の違い
道徳とは、
「こうしなさい」
「これは良い、これは悪い」
そうやって、外から教えられた約束ごとです。
学校で、家庭で、社会で、国や宗教で
そして時代とともに少しずつ姿を変えてきました。
だから道徳は、守れる時もあれば
守ろうとすると心が苦しくなる時もあります。
それは、道徳が悪いからではありません。
道徳は、人が共に生きるための
知恵の形だからです。
けれど、もうひとつ大切なものがあります。
それが、良心です。
良心は、
誰かに教えられなくても
心の奥でそっと、すでに知っています。
・後ろめたい
・胸が痛む
・なにか違う気がする
・申し訳ない
声にならない小さな違和感。
それが、良心です。
道徳は、破っても
理由をつけることができます。
「仕方なかった」
「みんなやっている」
「ルール上は問題ない」
でも、良心は違います。
誰に責められなくても
誰にも見られていなくても
自分の心は、知ってしまう。
だから良心は、
ごまかすことができません。
仏教が大切にしてきたのは、
「正しさ」よりも
心が濁っていないかという問いです。
正しいことをしているのに
心が荒れているなら、
そこには小さなズレがあるのかもしれません。
良心とは、人を裁く声ではありません。
「お前は間違っている」
そう叫ぶ声ではないのです。
良心は、自分を照らす静かな灯りです。
・責めない
・急がさない
・でも、黙って見ている
とてもとても温かな働きです。
道徳だけで生きると、
人は他人に厳しくなりやすくなります。
良心で生きると、
人は自分に正直になっていきます。
この世をより良く生きるためには、
道徳も良心もどちらも必要です。
ただ、
良心の働かない道徳は
形だけのものになってしまいます。
最後に、
ひとつ大切なことをお伝えします。
良心は、
磨くものではありません。
何かを付け足して
立派になるものではないのです。
自己中心的な思い
「自分が正しい」という強さ
頑なな自我が一枚、また一枚
そっと薄れていったとき、
自然に内から現れてくるものです。
人は、竹の子のようなものです。
外側の黒い皮をむくと、
中には白く、柔らかな中身があります。
でもその黒い皮は、
雨や風寒さや暑さから
中身を守ってくれていました。
自我は、
私たちがこの世で生きるための
鎧でもあるのです。
だから、良心を顕現させるために
薄める必要はあっても
完全に捨てる切ってしまう必要はないのです。
ただ、忘れないでください。
その奥に、誰の中にも
温かな灯りが静かに灯っていることを。
静かになったとき、立ち止まったとき、
耳を澄ませたとき、
その灯りは自分と他者の両方を
そっと照らしています。
それをしっかり守りながら生きる。
それが、
良心と共に歩むということです。
合掌
※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。
今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。
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