「智慧の光明きわもなし」
正しい智慧により一皮むけた人は、
安らぎへと帰ります。
このように安らぎへと帰ることが出来た人の心境とは静かであり、
出る言葉も静かであり、その行為も静かである。
(原始仏典 ダンマパダ7章-96番)
釈尊が智慧の重要性を指摘されています。
それも人類が安らぎの心境ににれるには、智慧が大切だと示唆されています。
逆に言いますと、智慧の無い人は安らぎの心境にはなりがたいというダメ出し
です。
では一般的な知恵とは何か?
仏教の説く智慧とは一体何なのでしょうか?
国語辞典では、
「知恵」とは、物事の物事の道理を判断し処理して行く心の働き。物事の筋道を立て、
計画し、正しく処理して行く世俗的な能力。
「上司より知恵を借りる」「生活の知恵を身に付ける」等。
そして「智慧]とは仏語。世俗的な相対世界に向かう働きの「智」、世俗的な相対世界から
解放されて「悟り」を導く精神作用の「慧」。物事をありのままに把握し、真理(真実)を
深く見極めれる認識力。
つまり、この世の物事を識別して総合的に判断して「智」、真実を生きるために役立つ心の
働(認識力)であり、人知を超えた啓示的な指針が降りて来る(慧)でもあります。
つまり智慧とは、良心の奥に宿る(仏性)、真実を見極める意志・意識、つまり仏さまの御心です。
仏さまの御心である智慧が湧いてくるのかは、科学ではわかっていません。
何故ならば、脳にインプットされていない最善の閃きやパターンの方針が
湧いてくることも度々あるからです。
だから、本当の智慧とは勉強するだけでは到底得られないし、
生活努力と智慧が合わさって初めてどこからか「降りて来る」ものなのです。
社会には学歴がなくても、また、学校時代勉強ができなくても、仏さまの御心の智慧によって
立派な経営者になっている人も多いいです。
東大を出ても、知識はたくさんあっても、生きるための智慧の無い人も多いいです。
仏教では、
(1) 生まれながらの知能。
(2) 他人から教えられる知識。
(3) 自分自身を静観することで気付く認識力や洞察力。
(4) 日々の道徳的な生活努力の中から得られる経験知。
この4つが総合的に合体して初めて智慧が降りて来るとしています。
では、生まれながらに(1)が無い人はダメなのか?
それが違うのです。
自分なりの知能の中での生活から、
(2)~(4)を自分なりに実践と努力をすることで、今の自分に合った
最適な智慧が降りて来るのです。
つまり自分の生まれ持った特性に合った智慧こそが最大事であり、
他の立派な人の智慧は役には立たないものなのです。
必要なのはその人への智慧なのです。
他人の智慧を真似ることは参考には成りますが、啓示ですから、
その人だけに降りて来るインスピレーション、智慧が最善であるのが智慧の正体です。
つまり、智慧とは「生き物」でもあります。もし、こんこんと智慧が湧く人に
成れますと、ユーモアに溢れた心豊かな楽しい生活に成ります。
そして、すべての物事が、静かな情熱を秘めながら安静へと向かいます。
また、智慧とはすべてのいのちを活かし育む無限のエネルギーでもあります。
私が尊敬する経営の神様と言われた松下幸之助さんや、
ボランティアで日本航空を根本的に立て直した京セラ・第二電電創業者の稲森和夫
さんは独自固有に降ろされた本質的な智慧を生かし切って、多くの人たちのいのち
や企業を活かし仕合せを育んでいった御方です。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「選択、判断、実行」
自分の意志で自由になる部分を探し出して、
その範囲で選択し、決断し、実行する。
一日何分かの小さな決断が、
その日の残りの二十何時間かの質を
いつの間にか変えるであろう。
一日が残りの三百六十四日の質を変え始めるだろう。
一年が十年の質を変えるであろう。
このようにして必ずあなたの一生の質は変わったものになっていくはずである。
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今日の諺 「誠心誠意(せいしんせいい)」
【意味】
噓いつわりのない、まごころで物事にあたること。
「意」は気持ちという意味で、
「誠心」も「誠意」も誠の心という意味。
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