他人への怒りを抱きながら生きる人々の中に住みながらも、
私たちは大きく楽しみながら生きましょう。
他人への怨念を持ちながら生きる人々の間に住みながらも、
私たちは正しく暮らしていきましょう。
(原始仏典 ダンマパダ15章-197番)
この項の学びは、
どんな環境の中で住もうが自分次第だということです。
どんな状況下でも、
人は自分の生き方を最終的には自身で選択「している」のです。
それを逆に周囲の責任にしていましても、何も始まりません。
しかし人間の表層意識は、これを認めずに常に他者に原因を
探そうとするサガ(性)があります。まず、無意識に「責任転換が
大好きな醜態が自分の心の奥底には隠されている」この事実を
よくよく自身が自覚しておく必要があるのです。
因果の法則から観ますと、自分にやってくる都合の悪い事実は、
自分が忘れているだけであり、コノ世のすべての辻褄は正しく
合って行くのです。
それはもう完璧に離れたピース同士でも引き合って合致して行き
ます。だから、これからも間違った生き方をしないために、
* どんな状況下でも、自分の良心に従う「選択」をして行く。
(その「選択」の基準は「そこに愛はあるのか?」で行う。)
* 他人の責任や粗ばかりを探さないで、先ず自分の責任と原因
を探すこと。
(常に自分に対する問題意識と具体的改善方法を検討する。)
この2点に注意して生きていますと、悪循環のサイクルは必ず良い
循環に変わり始めます。
今からでも良い視点(思考・志向)を生活の中に置いていくのです。
良い視点は、必ず明日の生活をより良い方向へ変えていきます。
自分で良い視点を笑み出して置いていかないことには、未来に発芽
することがないのです。
全てを今の自分が生み出してい現実を直視して生きましょう。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「立志と小立志」
志を立てたら、次に小さな志について日々工夫をすることが必要である。
本当の志というのは、
そう簡単に立つものではない。
建築にたとえれば、立志が建物の骨子となるものであり、
小立志は装飾にあたる部分である。
ゆえに最初からそれらを組み合わせていくことを
考えなくてはならない。
大きな志が固まるまでは、
小さな志を立てて進んでいくより仕方がない。
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今日の諺 「一往一来(いちおういちらい)」
【意味】
行ったり来たりすること。
「往」は行くことで、
「来」は来るという意味。
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