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「本当に知っている者は語らず、語る者ほど本当は知らない」6/26(月)

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本当に知っている者は語らず、

そして語る者ほど本当は知らないのです。

真の知者は、五感の目や耳などの穴を塞いで、

その刺激の出入りを閉じます。
そして、神経質にならないようにして、

意識の煩わしさを解きほぐします。

そして、主張したがる意識を和らげて、

他の普通の人々となじみます。
このことを、神秘なる合一と言います。

真の知者とは、神秘なる合一を果たした上で

社会の中に溶け込んだ生活をしているために、

社会の人々は真の知者が誰であるのかを

知ることはできません。

真の知者には、誰も親しむことができず、

避けることもできません。

また、真の知者には、

利益を与えることもできませんし、

損害を与えることもできません

さらには、真の知者を尊敬することもできなければ、

バヵにすることもできません。
だからこそ、真の知者とは、

コノ世に隠れた最も貴重な存在なのです。

老子は、真に悟れば、

語ることを一切やめて、

一般人の中に紛れて静かに生活することに

必ずなると示唆しています。

要は、悟りについて他人に教えたり、

語るために他人と面会する時点で、

それはすでに本物ではないのです。

 

では、なぜ悟れば、

語ることをやめてしまうのでしょうか?

「すでにすべてがOKだから」

「それでよいのだ」だからです。

「今さら何を言う必要があろうか」ということが、

心の真からわかるのです。

 

人間が存在している不可思議に真から気づきますと、

病気であろうが、失業しようが、

独身であろうが、誰かに罵倒されようが、

それは生きる間だけの些細な

オプションに過ぎないことがよくわかります。

さらに言えば、そのようなすべての環境は、

魂への有り難い刺激であるのが真相なのです。

 

すべての人間と生命が、

すでに最高に素晴らしい存在である

真相がわかりますと、

「悟る必要も無かった」というオチを知るのです。

だから何も言わなくなります。

生かされていることに感謝しながら暮らすことが、

最も聖なる生きる道なのです。

これは、悟りを超えた先に存在する「行為」なのです。

 

「柔訳 老子の言葉 写真集」

著:谷川 太一より抜粋転載

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