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「己が存在する有難さに気づいて思いっきり生きていきましょう。」1/13(土)

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本当の自分というものは、今見えている

体験している「流れ」ではありません。

しかしもその「流れ」自体を自分だと

思い込んで、喜怒哀楽を繰り返します。

本当の自分とは、良心(仏性)と共に在り、

絶対安心の場所から、常に変化する「流れ」

を客観的に透明感一杯で見ているのです。

そして様々な生活の「流れ」を体験させ

てもらい、感謝を味わっているのです。

有難いじゃないですか。時間限定だから

こそ、己が存在させてもらっている有難

さに気づいて、人生二度なし。もっと思

いっきり後悔なく強く明るく生きていき

ましょう。

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私、釈尊にとりましては、

自分の首に台車に

つなぎ止めるための

木製のクビキを付ける

牛の役をするのが、

勇敢に修行への『努力』を

継続することなのです。

これは悟りへの過程の中で、

一切が静寂に包まれる涅槃(天国)

へと誘います。

クビキを首に付けて

任務を押し進めることは、

前へ前へと自分自身を

押し上げていきます。

この継続はもはや、

生老病死という人が持つ

心配を超えた存在へと、

自分自身を至らせるでしょう」

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第四節-七十九番]

 

私たちは、

・時間に拘東された会社員

・口うるさい夫や姑に監視された主婦業

・厳しく管理された学生生活

このような環境から、

解放されたい!もう逃げ出したい!

変わりたい」と思うものです。

 

しかし、なんと釈尊は、

拘束道具のクビキを

首に付けた状態こそが

*自分自身を悟りへと導く。

*コノ世のすべての悩み、

生(性)老病死から自分を

解放して真に自由にする。

*不自由な環境こそが、

その継続が極まれば、

その人を真に自由に至らす。

悟らせる。

ということをおっしゃっています。

 

コノ世の私たちは、拘束・束縛から

逃げる選択をするものです。

そして、人は今の束縛から

逃げましても、次に違う

「現実」(無職、離婚、退学など)に

直面し、新たな厳しい

束縛(再就職、再婚など)を

強いられるパターンがあるものです。

厳しい束縛が自分を悟り・

解放に至らせるとは、

ピンと来ないものです。

 

でも、私には思い当たることがあります。

*満腹状態では、人は

どんなご馳走も有り難いとは思えない。

*でも、飢餓状態ならば、

ただの塩オニギリも

最高のご馳走だと思えて、

涙を流して人は感動します。

 

なぜでしょうか?

不自由で厳しい「飢餓状態」こそが、

塩オニギリでも感動を起こさせるのです。

つまり、人は、

自由な環境の中では、

その自由の有り難さに

「気づける」のでしょうか?

 

大半の人間は、

「自由であることがアタリマエ」

となり、自分が「すでに」

自由であることに

気づいていないと感じます。

ここに、すべての原点があると感じます。

これは非常に重要なポイントです。

 

*誰もが「すでに」

真の幸福状態であるのに、

他人との比較心から、

自分は不幸だと思い込んでいる。

*すでにあるモノ

(肉体・家族・命⋯⋯)の

有り難さには気づけずに、

無いモノ(他の異性・金銭⋯⋯)

ばかりを追い求めて、

自分は不幸だと思い込むこと。

*人は誰もが「すでに」

悟っているのに、

自分が悟っていることに

気づけない。

 

このような、

人が持つサガを感じます。

例えば、人間が首に

拘束具のクビキを付けるような

束縛された会社員生活をしていますと、

休日がなんと新鮮で

有り難いことでしょうか。

まさに休日に、

涅槃(天国)を感じられます。

 

失業中で時間が有り余る人には、

休日にも何の感動もありません。

むしろ人が混む休日は苦痛であり、

次の就職への心配から

心が休まらないかも知れません。

 

すると、釈尊のこのような言葉が、

まさに真実・真理であることが

わかってきます。

皆様の参考にしていただけますと幸いです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第ニ巻」

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