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「相手を生かそうとする人は、自分も生かされる」2/5(月)

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与えれば、与えられる。

奪えば、奪い返される。

人を生かそうとする人は、自分も生かされる。

法則は実に単純です

 

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雪山に住む神霊が言いました。

「釈尊という沈黙の聖者は、

カモシカのように真っ直ぐに

伸びた骨ばった足をしており、

枯れきった細い身体をしており、

その顔は深い叡智に輝いている。

少量の食べ物を摂るだけで、

食欲は収まっており、

森の中で禅を組んでいる。

では、完全なるブッダ

(知恵を完成させた人)に会いに行こうか」

[原始仏典『スッタニパータ』

    第一章第九節-百六十五番]

 

「カモシカのように

真っ直ぐに伸びた骨ばった足」、

これをイメージする場合、

奈良公園にいる鹿の足を

想像してください。

とても細くて筋肉のない、

皮とスジだけの骨ばった足のことです。

人間でこういう足を見かけるのは、

小学生の低学年までかも知れません。

半ズボンを履いた子どものスネに、

皮膚と骨だけの細い足を見ることがあります。

釈尊は、まさに

こういう足をされていたわけです。

 

仏典では、「鹿のような

骨ばった足をしていること」が、

生き仏の証拠の一つとなる

条件にされています。

 

これが意味することは、

・非常な少食で節制をする人であること。

・足の細さは、禅を組んでいる

時間が長いことを証明すること。

・枯れ切った、削ぎ切った、

肉体をしていること。

このようなことが考えられます。

 

しかし、これでは非常に

不健康で歩くこともままならない、

病的な人に見えてしまいます。

また、このような身体的な特徴は、

病み衰えた人にも表れる状態です。

 

はたして、生き仏と、

病気の人を分ける特徴は何なのでしょうか?

それが、「その顔は深い叡智に輝いている」

という顔の表情なのです。

 

病気から前記の状態になった人の顔は、

やはり病んだ顔をされているものです。

でも、精神的な求道から

この状態の肉体になった人の顔は、

静寂に満ちた笑顔で輝いているわけです。

肉体は枯れているが、

顔だけは太陽のように輝く人が

生き仏の特徴の一つなのです。

 

寝たきりの長い闘病者でも、

その中で心の成長を果たし、

顔だけが輝いている人がおられます。

人間は、どんな状態の中でも、

求道と成長が起こるということです。

病気で寝ているだけでも、

生き仏へと進化する人が、

稀に出現されます。

 

無名のブッダが、

無数に存在してきたことを

日本でも感じます。

宗教的な修行の形は、

関係がないということです。

 

でも健康的な人間には、

このような枯れた特徴というのは

良くないと思います。

あくまでも前記の枯れた状態を

良しとするのは、二千五百年も前の

当時の食糧事情も含めた社会状況から

来るものだと思います。

大切なことは、肉体的な条件よりも、

心の問題です。

 

現代には今に応じた、

ブッダの状態があると考えることが、

正しい真理に沿うと感じます。

古代と共通する大切な

「生き仏」の特徴が、

その顔は深い叡智に輝いていること。

これが、どんな肉体的な条件下でも、

実現するように生きたいものです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第ニ巻」

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お客様の声

伊勢丹新宿店メンズ館

●衿まわりと袖口にシミがあったベ

ージュの上着の仕上がりをご覧いた

だき、笑顔でお持ち帰りになりまし

た。(30代 女性)

 

阪急メンズ東京

●プラダのジャケットにほつれがあ

り、修理ができないかというお客様

がご来店されました。

 

★KITONのジャケットをお引き取り

にいらっしゃったお客様。ラペルの

プレスがきれいだと、喜んでいらっ

しゃいました。

 

 

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