「喜ぶ心のきわまりなし」
人生で色々な経験をする旅を
自分の中で終えたと思う人は、
心配することを止め、すべてのことにユックリとし、
色々な束縛が有っても気にすることがありません。
そういう人は、悩むことから自然と本当に解放されます。
(原始仏典 ダンマパダ7章-90番)
どんな人にも束縛も悩みもあります。
この世に生きる限り、人として存在する限り、
誰にでも悩みも束縛もあるのです。いつまで経ってもです。
もし何の束縛も悩みもないような人がいましても、他人から
見えるだけのことです。
何かの信仰をすれば、精神世界のセミナーを受ければ、
これがなくなると思い込んでいる人が、悩みや束縛を「なく
そうとして」宗教団体や精神世界にお金を次から次えとつぎ込
んでいきます。
でも、それは違うのです。悩みや束縛が存在していましても、
自分の心(仏性)にまで「受け取らない」ことが大切なのです。
実は、この心のクセが、その人の仕合せと不幸をはっきりと
決めています。
以上を意識することにより、釈尊は「そういう人は悩むこと
から自然と解放される」と仰っています。
ここで勘違いしてはいけないのは、解放の意味です。
「悩みや束縛は、そこに厳然として存在しているがも、自分
の心の奥底は悩みから解放されているために、悩みや束縛が
気にならない→悩みや束縛を「まっいいかぁ。なんとかなるさ」
と素直に受け入れることができる→すると悩みも束縛も存在し
ていないことになる→悩みや束縛から解放される」
という流れのオチを知っておいて下さい。
とにかく人間は、嫌なことを「なくそうとする」から苦しむの
です。それがなくならないから自分はダメだと思い込みます。
それがあるから、すべてがダメだと感じてしまいます。
しかし、それは違います。嫌な事の感覚や存在も認めてあげた
上で、自分の良心(仏性)を優先して感謝する生活を実践します。
真宗の妙好人さんたちは、まさに阿弥陀さんへの感謝と報恩の
実践者です。
この継続は、いつの間にか悩みや束縛の存在を本当に根本から
少なくしていきます。
つまり向いている方向が悩みや束縛ではなく、仏さんなので、
そんなこともうどうだってよくなっていくのです。
真宗で言えば、「なんまんだぶつ」の阿弥陀さんへの「ありが
とうございます」感謝のお念仏の継続が現実的に悩みや束縛を
骨抜きにしてしまうのです。
そして人生を仏さんや先祖の皆さんと共に楽しむことができます。
これ理屈抜きで、本当です。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「変化の原理」
変化というのは、ある時期までは
一定の係数をかけた形で推移する。
棒グラフにすれば、一定の右肩上がりで変化していく。
だが、ある極点に達すると、
グーンと棒グラフが跳ね上がるか
ガクンと下落する。
カタストロフィーというやつです。
変化が爆発する。
これは変化の原理と言っていいものです。
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今日の諺 「日常茶飯事(にちじょうさはんじ)」
【意味】
毎日のありふれたこと。
いつも通りで、とくに何もめずらしくないこと。
「日常茶飯」ともいう。
「茶飯事」とは、お茶を飲んだりご飯を食べたりという、
毎日の普通の食事のこと。
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