調教師が馬をうまく飼いならすように、
自分の心身の感覚を安静に維持することを心掛け、
増長しておごり高ぶることを禁止し、
心身が浄化した人間は、
神々でさえもこのような心境の人間を尊び愛します。
(原始仏典 ダンマパダ7章-94番)
ここで釈尊は、
* 常に心身の安静を心がけること。
* 傲慢・慢心することを厳禁として、謙虚さを維持すること。
* 心身や室内を清潔に浄化する習慣を持つこと。
このように自分自身を律する人間を、
神々でさえも愛する・愛おしいと思うと仰っています。
例えば、
不潔で生活習慣が定まらない自堕落な生活をしている料理人が作る料理は、
本当に美味しいのでしょうか?
味を濃くして、料理を誤魔化しているだけなのではないでしょうか?
自分自身を節制し、凛とした雰囲気を持つ清潔で「いいものを出したい」と、
愛情心と探求心の強い料理人が出す料理は、もう食べる前から目で
食べることができ、いかにも美味しそうです。
つまり人間とは、
自分自身が日々生きる日常生活を背景とした雰囲気(磁気)を、
自分の仕事に憑けて提供しているのが本質的な真相なのです。
家庭の主婦が家族に出す料理も同じです。
食材の味だけではなく、そこには家族への愛情があるのか?
それが、その料理に乗ってきます。
やはり自分自身を律している人を視ますと、
とても気持ちが良くて、その人にとても魅力を感じます。
人間は顔でも外見ではありません。
人を引き付ける本当の色気とは、人は見ていなくても、
その人の日常の思考と生活態度が雰囲気を醸造して発酵させて
いるのです。
自分の日常生活を、
自身の内に宿っている良心(仏性)に誰もが日々捧げて生活して
いるのが本質的な実態だと感じます。
自分は日々、
心の仏さまに何を捧げているのか?善悪を含めて自分を「律する」
心がけがムダではないということを知っておいて下さい。
私たちは、いつも仏さまと共にあるわけですから。
そのことが心底分かってからというもの、
自身の愚かさに深く気づき、傲慢な自分を「律し」謙虚過ぎて丁
度良いのだと、やっと思えるようになっていきます。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「運は巡る」
よく「運は運なり巡るなり」といって、
どう転ぶかわからないものです。
わからないから運なんです。
こうすればこうなる、というのは数字か自然科学で、
因果律です。
でも、運というのは因果律じゃないから、
方程式は成り立たない。
それは。
ある日ある時、
天の一角からやってくるものなんです。
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今日の諺 「伸縮自在(しんしゅくじざい)」
【意味】
伸ばしたり、縮めたりを自由にできること。
「伸縮」は伸び縮みのこと、
「自在」は思い通りにできることをいう。
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